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加へ賜ふ, 重晴死するののち、其所領葛上郡のうちにをいて、六千石をあたへらる、, 關原陣の時、東照宮の御摩下に屬し, ち一萬石を分ちたまひ、其内二千石をもつて父か養老の料とす、十一年, 清晴母は某氏、某年紀伊國に生る、祖父重晴卒してのち、其養老の料のう, 二千石餘の地を勸賞せらる、このとし、父重晴か所領大和國葛上郡のう, 大和國葛上郡のうちにをいて, 所の戰に高名して、紀伊國和歌山の城を領す、, 勘氣蒙り〓居す、, ち、和泉國谷川の地一萬石をわかちあたへらる、慶長十四年、故ありて御, 嫡子九郎五郎一重は、生年廿二歳にして、竹田の城, 年、關白秀次の事ありし時、伏見の城を守りし事によりて、秀吉新恩の地を, 〔寛政重修諸家譜〕, 閤に仕へ、朝鮮の役に、修理大夫一晴とゝもに、かの地にわたる、慶長五年, に死す、法印致仕の後、嫡孫なれは、一重か子修理亮一晴に所領の地を讓り、, 元晴桑山修理大夫重晴か二男、母は某氏永祿六年、尾張國に生る、豐臣太, 文禄四, 桑山元晴, 慶長十一年十月朔日、宗榮法印八十歳にして卒す、, 清晴, 長兵衞、伊賀, 三萬石、法印始て此城, 守、從五位下、, 一萬石、其地は, 號普庵, 又四郎、, 九百九, 泉州に在と云, を築て住せしと云、, ○中, ○中, 十二, 略, 略, 重晴ノ子, 元晴, 清晴, 慶長十一年十月一日, 四二七
割注
- 長兵衞、伊賀
- 三萬石、法印始て此城
- 守、從五位下、
- 一萬石、其地は
- 號普庵
- 又四郎、
- 九百九
- 泉州に在と云
- を築て住せしと云、
- ○中
- 十二
- 略
頭注
- 重晴ノ子
- 元晴
- 清晴
柱
- 慶長十一年十月一日
ノンブル
- 四二七
注記 (39)
- 1649,626,55,275加へ賜ふ
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