『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.426

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

ちあたへ、そののち布施のうち新庄に住す、, 方して、本領桑山の庄を安堵す, 千石を領し, の居城を守り、新宮の押となる、このとし致仕す、これより先、重晴、家法の, 守の城に在り、其子修理大夫重晴、入道の後宗榮と號し、其後治部卿法印に, 藥、及ひ帷子等を奉りしかは、台徳院殿より御返書をたまふ、十一年十月, 家に伺候して、秀吉と、柴田と戰はれし時に、當國の要害を守る、秀吉世を知, り給ひて、但馬國竹田の城を賜ひ、, は成されしなり、宗榮、初め豐臣秀吉未た江州長濱の城におはせしより、其, 一直實は一重か二男、, 朔日卒す、年八十三、春谷宗榮果法院と號す、紫野大徳寺の清泉寺に葬る、, 七郎朝光十二代の後胤美濃國土岐郡の住人修理大夫貞久、尊氏將軍の御, 萬六千石のうち、六千石を伊賀守元晴、一萬石を其子又四郎清晴にわか, 十一年十月朔日、治部卿法印卒してのち、其養老の料一, 慶長九年、一晴か嗣となりて遺領を繼、一萬六, 貞久七代の孫修理大夫以則、尾張國神, 其後、舍弟大納言秀長に付られて、所, 〔藩翰譚〕九。桑山修理亮一晴は、治部卿法印宗榮の嫡孫なり、初め結城, 慶長十一年十月一日, ○中, ○中, ○此間ニ一重、一晴ノ, 事蹟アレドモ、今略ス、, ○中, 二萬, 略, 略, 石、, 略, 分賜, 養老料ノ, 秀吉ト重, 其孫一直, 晴, 四二六

割注

  • ○中
  • ○此間ニ一重、一晴ノ
  • 事蹟アレドモ、今略ス、
  • 二萬
  • 石、

頭注

  • 分賜
  • 養老料ノ
  • 秀吉ト重
  • 其孫一直

ノンブル

  • 四二六

注記 (35)

  • 999,711,56,1279ちあたへ、そののち布施のうち新庄に住す、
  • 640,635,57,926方して、本領桑山の庄を安堵す
  • 1233,707,55,347千石を領し
  • 1817,712,58,2126の居城を守り、新宮の押となる、このとし致仕す、これより先、重晴、家法の
  • 520,636,60,2210守の城に在り、其子修理大夫重晴、入道の後宗榮と號し、其後治部卿法印に
  • 1700,705,59,2142藥、及ひ帷子等を奉りしかは、台徳院殿より御返書をたまふ、十一年十月
  • 289,640,57,2205家に伺候して、秀吉と、柴田と戰はれし時に、當國の要害を守る、秀吉世を知
  • 170,640,58,996り給ひて、但馬國竹田の城を賜ひ、
  • 406,645,58,2205は成されしなり、宗榮、初め豐臣秀吉未た江州長濱の城におはせしより、其
  • 1350,660,58,686一直實は一重か二男、
  • 1585,706,58,2151朔日卒す、年八十三、春谷宗榮果法院と號す、紫野大徳寺の清泉寺に葬る、
  • 754,636,60,2217七郎朝光十二代の後胤美濃國土岐郡の住人修理大夫貞久、尊氏將軍の御
  • 1114,706,58,2132萬六千石のうち、六千石を伊賀守元晴、一萬石を其子又四郎清晴にわか
  • 1232,1208,58,1618十一年十月朔日、治部卿法印卒してのち、其養老の料一
  • 1348,1497,58,1352慶長九年、一晴か嗣となりて遺領を繼、一萬六
  • 639,1716,56,1132貞久七代の孫修理大夫以則、尾張國神
  • 171,1787,60,1059其後、舍弟大納言秀長に付られて、所
  • 847,586,113,2263〔藩翰譚〕九。桑山修理亮一晴は、治部卿法印宗榮の嫡孫なり、初め結城
  • 1934,706,44,380慶長十一年十月一日
  • 667,1577,40,114○中
  • 1260,1073,41,112○中
  • 1493,716,46,607○此間ニ一重、一晴ノ
  • 1450,712,44,631事蹟アレドモ、今略ス、
  • 1378,1365,41,107○中
  • 198,1660,42,107二萬
  • 625,1580,38,36
  • 1334,1362,41,39
  • 155,1656,41,47石、
  • 1220,1074,38,38
  • 1217,271,42,83分賜
  • 1262,270,44,165養老料ノ
  • 908,271,43,172秀吉ト重
  • 1355,270,43,172其孫一直
  • 864,272,40,38
  • 1935,2433,43,121四二六

類似アイテム