『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.522

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付候也、, 加と申坊主を取損し、御藏にいれ戸を立切籠り、依之牟田茂齋刀を不差, 孝高に對し逆心を企ける故、是を追放し給ふ、又兵衞も其一族たるによつ, るも、おふく、おあい、おちや合八人なり、男は中林清兵衞、同勘右衞門三浦, 内に入て面談し、和儀を以搦取之、女中は乳人おとら、おち代、お龜、松風、か, 家臣也、後に小寺政職の處に來て有しか病死せり、其時又兵衞はいまた幼, 少なりしを、孝高哀みて是を養育し給ふ、成人の後、伯父藤岡九兵衞と云者, 後藤又兵衞基次は、後隱岐と號す、父を新左衞門と云、本は東播磨別所氏の, 源之允、田崎正之助、慶加、七右衞門合六人也、本庄若村之廟にて、成敗被仰, 黒田長政ノ臣後藤基次、出奔ス, て立退、仙石越前守の許に行て居たりしを、後に長政呼返し給ふ、孝高、長政, 後藤又兵衞基次、長政の命に背きて, 今年, 出國しけるにより、毛利友信を大隈の城に移らしめ、鷹取の城には、手塚孫, 大夫辰連をして守らしむ、, 家譜〕, 〔増盆黒田家臣傳〕と, 前後藤又兵衞基次傳, 〔増盆黒田家臣傳〕〓筑前後藤又兵衞基次傳, 黒田, 慶長十一年是歳, ○鍋島直茂譜考補、及, ビ、燒殘反古、異事ナシ, 十一年, ○慶長, 長政譜下, 筑前, 五, 岡, 後藤基次, 處刑ノ男, ノ傳, 女, 慶長十一年是歳, 五二二

割注

  • ○鍋島直茂譜考補、及
  • ビ、燒殘反古、異事ナシ
  • 十一年
  • ○慶長
  • 長政譜下
  • 筑前

頭注

  • 後藤基次
  • 處刑ノ男
  • ノ傳

  • 慶長十一年是歳

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  • 五二二

注記 (35)

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