『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.699

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つきろね、淨和樣, 樣の御つほねと夫婦心出來て、追日仕合能、關東へ福松樣御下之後、むさし, へ御いとま被申、上方へのほり、身上かせき候はん, をしにて、最早大身に被戌、其後、尾州へ御移り之後、彌大身に被成候而、和泉, 成、不斷御そはに被爲置候三河古來之人にて候、宗輝樣御遠行之後、身上つ, 福松樣、大坂, とて、濱松に逗留之内、宗輝樣の御かけにて、御老中御大名衆御存之事、家康, ほせ可然之由、御老中被申上候、此三九は宗輝樣, 之意趣候哉、下野樣へ不足被申上、牢人して奧州松島へ引籠被居候之内に、, 守と申候、子息に監物、此人下野樣御坐なをし出頭ならふ人なく候へ共、何, 時、其頃小笠原三九とて、牢人して濱松に被居候を、是を御もりにして御の, 樣も内々御存之御事にて、福松樣に御付候て、大坂へ御のほせ候處に、福松, 摩守忠吉、尾州御歸國アリ、大切之御煩之節、江戸を被爲立、芝神明左近方へ, 御存生之時御懇被, 慶長十二丁未三月五日戊戌、薩, へ御登候時、濱松におゐて御相談に、誰を御もりにして御のほせ可有との, 御輿入、於此所御遠行, 土屋忠兵衞知貞覺書〕, 〔聞見集〕〓, ○上略、天正十二年家康秀吉ト和シ、於義丸福松, 丸二人ヲ大坂ニ送り質トナスコト二カヽル, ○松平, ○朝野舊聞哀稿, 五百三十五所載, ○松平, 康重, 康親, ノ由緒, 小笠原家, 慶長十二年三月五日, 六九九

割注

  • ○上略、天正十二年家康秀吉ト和シ、於義丸福松
  • 丸二人ヲ大坂ニ送り質トナスコト二カヽル
  • ○松平
  • ○朝野舊聞哀稿
  • 五百三十五所載
  • 康重
  • 康親

頭注

  • ノ由緒
  • 小笠原家

  • 慶長十二年三月五日

ノンブル

  • 六九九

注記 (31)

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