『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.122

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谷與兵衞ニ相申候、其時九兵衞殿のしかいも馬ニのせ申のけ申候ヲ、與, 申上候間、御尋も候者、罷上り可申上候、以上、, ニて相尋申候へ共、小馬しるし見つけ不申候ニ付、御のほり共尋候へ者、, 兵衞我等も其にて見とゝけのけ申候、それゟ長重樣御座所ヲ方々さき, うみ殿御のほりのきわに引よせ申候内ニ、長重樣御座所しれ候て、御の, 上樣之右之わきニたちい申候、それへ參候へは、與兵衞、彌左衞門、少三郎, ゟ左近殿も御成被成候て、與兵衞え次第ニ仕御のほりさろき原たうた, ほりおの〳〵同事ニさゝせ參申候、我等てき三人とつき相申時分は、た, れも無御座候、我等下人共も壹人もつき不申、具足之屋りきすは、五月八, しいまたい申候と存、我等にておくり參候處ニ、三丁はかりあとにて、大, ニあい申候、兩三人は其時おもてを上樣へ上ケ申へきとて被參候、それ, 日之御陣取ニて、長重樣へ御目ニかけ申候、樣子之儀は、書付ニても不被, 兵衞馬取壹人しかいニとりつきい申候、則しかいをのけ申、てきはしは, 九月十五日, 九月十五日小澤二郎右衞門(, 小澤二郎右衞門(, (, 元和元年五月七日, 花押, 印, 上松左兵衞殿, 元和元年五月七日, 一二二

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  • 花押

  • 上松左兵衞殿
  • 元和元年五月七日

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  • 一二二

注記 (23)

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