『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.650

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こたへ申候、そのばにてよくこたゑ申候者共、かげのり上下三人と、ちくぜ, 後右之方六人の者共ニは、かけのりすいさんなのると申候、こと〳〵くな, 候、そこにてかげのりみかたすてのき候やりを三本取、右之方六人のうち, ん家中衆五人は中条又兵衞父子、川西喜兵へ、田村助右衞門、本多ありの守, だりのかたにさいいづ、平野弥次右衞門、くりのとのも、上下合て十人罷在, 三人をりもたざる衆ニわたし、かげのり共ニ十一人とかぞへすいさん仕, 間計のどてをこだてに取りこたへ候、いづ、かげのりニぢんやをかし候故, 是をいかゞとこゝろっけ、此所へうつり候へは、みかた右のかたニ六人、ひ, 殘り、うしろに少たかき所の一間、ひろく上へ三尺あまりほとゝ、よこへ五, 候、てき城此方間八九間ほとも御座候はん、其段はてきもみおよび申候、其, もどりてかげのりも其所可然と申あ、それに八つ時分まて、四時のあいた, かちこせう葛右衞門、合八人までに、八つ時分にみかたみぎてきひだりの, のり申候せはしきばにて壹人もおぼへ不申候、平野弥次右衞門とも、さい, へ、一つに堅りては、矢てりほうにあたるもの也と申て、かげ乃りはあとに, こぐちより、にんじゆを出し候、こゝにてかげのり内の者にも早々のき候, けの〓う, 慶長十九年十二月四日, 六五〇

  • 慶長十九年十二月四日

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  • 六五〇

注記 (18)

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