Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
開山は僧滿譽玄道なり、, 中こゝに移し、御寺の列となせり、, 法號を以て寺號に改めしを、慶長十六年、, 立し給ひ、正覺寺といひしを、慶長六年忠吉君清須へ遷り給ひし後、同八年, 此寺をもうつし、同十二年三月五日、江戸にて君かくれさせ給ひし後、彼御, 十七年、忠吉君其御母寶臺院女君の御爲に、武藏國埼玉郡忍莊持田村に建, 明嶺を迎へて、開山とし、清善寺と號け給へり、忠吉君御存生の時、法號を明, 嶺に請給ひて、大光院殿と申しゝか、慶長十二年江戸にてうせ給ひし時、御, 遺言によりて、清須の此寺に葬り奉らむとせしを、増上寺の衆徒異議を申, により、増上寺に葬り、靈牌を此寺に建て、日置山大光院と改めしを、慶長年, 性高院門前町の東側にありて、大雄山と號し、京都智恩院の末寺也、天正, 今の處に移せり、中興の, 年代記〕慶長十二年丁未三月五日、尾州太守籌山宗勝公遠行、追而, 切腹之士三人, 下野樣御參學之本則、趙州〓劍刃上一句、万法不但趙州□死底、徳山入門棒、, ), の跡に一宇を建立し、, (裏書〕, 寺記には, 尚爲開山、其後暫中絶矣とあるは、雲門寺の事なり, 十五年, 天正十九年辛卯、豐臣秀次、爲秀長菩提創建、以雪齋和, 武藏國, 龍淵寺, 門歸依, 寺ノ異議, 忠吉ノ禪, 葬儀ニツ, イテ増上, 性高院, 慶長十二年三月五日, 七〇七
割注
- 寺記には
- 尚爲開山、其後暫中絶矣とあるは、雲門寺の事なり
- 十五年
- 天正十九年辛卯、豐臣秀次、爲秀長菩提創建、以雪齋和
- 武藏國
- 龍淵寺
頭注
- 門歸依
- 寺ノ異議
- 忠吉ノ禪
- 葬儀ニツ
- イテ増上
- 性高院
柱
- 慶長十二年三月五日
ノンブル
- 七〇七
注記 (32)
- 630,641,53,715開山は僧滿譽玄道なり、
- 1329,646,55,1004中こゝに移し、御寺の列となせり、
- 744,644,58,1220法號を以て寺號に改めしを、慶長十六年、
- 975,645,59,2220立し給ひ、正覺寺といひしを、慶長六年忠吉君清須へ遷り給ひし後、同八年
- 858,642,61,2222此寺をもうつし、同十二年三月五日、江戸にて君かくれさせ給ひし後、彼御
- 1091,646,61,2221十七年、忠吉君其御母寶臺院女君の御爲に、武藏國埼玉郡忍莊持田村に建
- 1792,647,59,2218明嶺を迎へて、開山とし、清善寺と號け給へり、忠吉君御存生の時、法號を明
- 1675,645,60,2221嶺に請給ひて、大光院殿と申しゝか、慶長十二年江戸にてうせ給ひし時、御
- 1556,643,62,2220遺言によりて、清須の此寺に葬り奉らむとせしを、増上寺の衆徒異議を申
- 1442,649,61,2215により、増上寺に葬り、靈牌を此寺に建て、日置山大光院と改めしを、慶長年
- 1209,646,59,2217性高院門前町の東側にありて、大雄山と號し、京都智恩院の末寺也、天正
- 742,2158,58,699今の處に移せり、中興の
- 494,815,91,2048年代記〕慶長十二年丁未三月五日、尾州太守籌山宗勝公遠行、追而
- 393,638,55,425切腹之士三人
- 275,631,59,2240下野樣御參學之本則、趙州〓劍刃上一句、万法不但趙州□死底、徳山入門棒、
- 488,599,100,22)
- 1909,2246,59,632の跡に一宇を建立し、
- 333,628,41,122(裏書〕
- 774,1877,41,255寺記には
- 1896,648,43,1494尚爲開山、其後暫中絶矣とあるは、雲門寺の事なり
- 731,1880,40,188十五年
- 1937,653,46,1577天正十九年辛卯、豐臣秀次、爲秀長菩提創建、以雪齋和
- 539,629,45,178武藏國
- 493,626,45,182龍淵寺
- 258,272,41,126門歸依
- 1501,277,41,174寺ノ異議
- 300,274,42,170忠吉ノ禪
- 1590,279,41,164葬儀ニツ
- 1547,284,40,164イテ増上
- 1218,278,40,128性高院
- 170,708,46,385慶長十二年三月五日
- 172,2444,47,125七〇七







