『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.710

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ひて、一戰はけますへきとおもへは、此城平場、又は水つきても少しも心に, 此の御物語有しに、左衞門申せしは、先年關ケ原の亂の時に、御手をおろさ, 西國ゟ志の輩有て、惡意を企ては、此城に籠り引請へきにあらす、道迄出迎, れ、武功の譽れ諸國にきこえ候御方の、ケ樣の平城を御守り、水つきの所に, へくとて、下され候ほとの御心安き御挨拶にて候、其とき、古へ武功の御咄, にあらす、今の天下は、親兄の天下なれは、我惡意を企つへき事にあらす、若, しと存る計に候由申上られにれは、忠吉卿の仰には、大夫程の人の宣ふ事, 御座を構へ給ふは、本意なき事也、哀れ要害の地に御座を構へさせ給へか, 懸へきにあらすす仰られたれは、福島も其御言葉に感し、〓を催し退きし, を承はり奉り度と仰上られ候へは、別に御咄是なく、古への咄聞申度と存, と申上けれは、敬公數年の御苦勞、一座に御ほとけあそはされしと投、, 御前にて、御領國には小刀刺刀なと澤山に是あり候間、御供の衆へ下さる, 候ほとの心底なれは能候と御意遊はされ候, 薩摩守殿、尾張に御座候内、權現樣御通り成され候刻, 〔駿河草〕, 翁物語前集〕四關東旗本衆語曰、家康公之御子ノ中ニモ、越前之黄門ト, (刺カ), ○藩鑑二, 十六所載, 家康ト忠, 忠吉ノ戰, 略, 吉, 慶長十二年三月五日, 七一〇

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  • ○藩鑑二
  • 十六所載

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  • 家康ト忠
  • 忠吉ノ戰

  • 慶長十二年三月五日

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  • 七一〇

注記 (25)

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