『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.918

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

くしせめ戰ふとい〓とも、吉貞義綱、忠政三人、矢たねをつくして射かけ, しかは、あるひは討死し、或は創をかうふるもの多きにより、勝家等利を, 失ひて引退く、永祿元年、東照宮軍を石瀬に發して、水野下野守信元の兵, あらそひ不和なるにより、たがひに其功を立むと、ぬけか第して力をに, りと賞譽のあり、三年五月、大高城に御座ありしとき、今川義元の討死せし, をずく、勝家、僅に死をまぬかれてのかれさる、このとき忠政ふたゝひか, け合せ、正重等と共につゐに藤太某か尸を得たり、柴田、荒川日來威勢を, の月岡崎より軍を發し、ふたゝひ信元か兵と石瀬に戰はしめたまふの, か從者助け來て馬にのせて退く、忠佐、これを追、鎗をもつて其馬の三頭, と戰はしめ給ふ、こ乃とき忠政先鋒の士を射〓す、石川日向守家成の家, とき、十八町〓にをいて、信元か兵士神谷金七某と鎗を合す、四年九月、吉, 臣山崎五郎大夫某、其首をとりてたてまつる、御覽ありて一番の高名な, 馳來り、鎗をもつて忠勝をにきぬす、忠政、矢を放ちて勝家を射倒す、勝家, 告あるにより、岡崎城に歸り入せたまふのとき、したかひたてまつるこ, 長義昭か一族荒川甲斐守義虎、御麾下に參り、義昭の領する所の城々な, 慶長十二年五月六日, 慶長十二年五月六日, 九一八

  • 慶長十二年五月六日

ノンブル

  • 九一八

注記 (18)

  • 1193,688,101,2139くしせめ戰ふとい〓とも、吉貞義綱、忠政三人、矢たねをつくして射かけ
  • 1074,692,105,2141しかは、あるひは討死し、或は創をかうふるもの多きにより、勝家等利を
  • 957,695,110,2141失ひて引退く、永祿元年、東照宮軍を石瀬に發して、水野下野守信元の兵
  • 1315,693,94,2131あらそひ不和なるにより、たがひに其功を立むと、ぬけか第して力をに
  • 605,705,108,2132りと賞譽のあり、三年五月、大高城に御座ありしとき、今川義元の討死せし
  • 1545,688,105,2131をずく、勝家、僅に死をまぬかれてのかれさる、このとき忠政ふたゝひか
  • 1427,692,101,2133け合せ、正重等と共につゐに藤太某か尸を得たり、柴田、荒川日來威勢を
  • 370,711,106,2136の月岡崎より軍を發し、ふたゝひ信元か兵と石瀬に戰はしめたまふの
  • 1659,691,109,2129か從者助け來て馬にのせて退く、忠佐、これを追、鎗をもつて其馬の三頭
  • 840,710,107,2125と戰はしめ給ふ、こ乃とき忠政先鋒の士を射〓す、石川日向守家成の家
  • 252,721,113,2126とき、十八町〓にをいて、信元か兵士神谷金七某と鎗を合す、四年九月、吉
  • 720,699,109,2140臣山崎五郎大夫某、其首をとりてたてまつる、御覽ありて一番の高名な
  • 1777,682,105,2134馳來り、鎗をもつて忠勝をにきぬす、忠政、矢を放ちて勝家を射倒す、勝家
  • 488,706,104,2136告あるにより、岡崎城に歸り入せたまふのとき、したかひたてまつるこ
  • 134,724,107,2109長義昭か一族荒川甲斐守義虎、御麾下に參り、義昭の領する所の城々な
  • 1895,675,48,384慶長十二年五月六日
  • 1895,675,48,384慶長十二年五月六日
  • 1936,2407,40,120九一八

類似アイテム