『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.1016

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成堯に賜ふ、, 後、仰をうけたまはりてこれを守る、このとし領知を美濃國にうつされ、, うつり、ふたゝひ家政を沙汰す、このとき、さきにたまふ隱栖の料は、養子, の御陣にしたかひ、毎に先鋒たり、天正八年封を襲、のち從五位下に敍し、, たまうのとき、隱栖の料として、伊豆國梅繩にをいて五千石をたまひ、慶, 尾張國清洲を守り、また諸將とゝもに、近江國佐和山城をせめ、城陷るの, 二萬石をたまふ、このとき近習臼外樣の士を五組にわかたれ、かはる〳〵, 番を勤む、井伊直政、本多忠勝、榊原康政、平岩親吉、をよひ康通をその隊長, となしたまひ、京伏見に渡御のとをは、一人つゝ番士を率ゐてかの地に, 加増ありて五萬石を領し、大垣城に住す、これよりさき長門守にあらた, 左衞門大夫と稱す、十八年關東にうつらせたまひ、上總國成戸において, いたる、慶長五年關原御陣にき、松平玄蕃頭とおなしく、福島正則か居城, 長十二年七月、康通卒し、嫡孫なを幼稚たるにより、其居城美濃國大垣に, 康通母は某氏、天文二十三年生る、のち東照宮につかへたてまつり、所々, む、八年二月、東照宮將軍宣下御拜賀として、御參内あるに扈從し、十二年, 慶長十二年七月二十六日, 康通ノ事, 蹟, 一〇一六

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  • 一〇一六

注記 (19)

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