『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.728

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にて鶴を得たりやとたつねさせたまひしかは、御ゆるしをかうふらさ, したまふ、このとき仰により、男可重をして美濃國八幡の城を攻しむ、こ, きも、長近父子騎卒三千人を具して扈從し、下野國小山にいたる、ときに, 田にをいて二萬三千石餘を加増あり、すへて六萬千石餘を領し、武儀郡, 義弘の兵と相戰ふ、十月この賞により、美濃國上有知、をよひ關、河内國金, ひ、終日御遊宴あり、このとき碁盤一面をたまふ、のちしは〳〵台駕をよ, 台駕にしたかひたてまつり、關原合戰のとき、御本陣の左りに備へ、島津, 上有知に住す、七年東照宮御上洛のとき、長近か伏見の邸にいらせたま, 放鷹のときも、しは〳〵御供に列す、五年東照宮、上杉景勝を御征伐のと, たまひ、爾來これを用ふへきむね上意をかうふる、八年山城、攝津、河内、和, 泉等の國にをいて鷹場をたまふ、九年東照宮の御前に候せしとき、鷹狩, 石田三成謀叛の告あるにより、御追討あるへしとて、これより軍をかへ, せらる、この年仰によりて、持鎗虎皮の鞘を獻し、また金紋網代の挾箱を, れにより七月二十九日、東照宮より御書をたまふ、こゝにをいて長近は, るゆへ、鶴をとる事を得さるよし言上せしを聞し召れ、すなはち恩許あ, 慶長十三年八月十二日, 於ケル長, 近, 關原役ニ, ノ加増, 上有知ニ, 家康ヨリ, 住ス, 七二八

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  • 於ケル長
  • 關原役ニ
  • ノ加増
  • 上有知ニ
  • 家康ヨリ
  • 住ス

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  • 七二八

注記 (24)

  • 287,739,61,2137にて鶴を得たりやとたつねさせたまひしかは、御ゆるしをかうふらさ
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  • 1701,734,60,2142きも、長近父子騎卒三千人を具して扈從し、下野國小山にいたる、ときに
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