『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.78

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よひ忠興長政嘉明等、兵をすゝめて挑み戰ひ、敵若干を討とる、この日三, 長政、神保相茂、秋山某、松倉重正、本多政武、生駒一正、加藤嘉明等と連名の, 得たり、すなはちこのよしを言上せしかは、八月二十七日、藤堂高虎、黒田, を追崩し、家臣辻勘兵衞重勝、敵兵杉江勘兵衞を討とる、其餘首あまたを, 平忠頼に渡す、九月朔日、神奈川の御旅館より、加藤源太郎成之をして、藤, にいたり備をなす、三成小關村より輕卒を出して戰はしむ、吉政父子を, 堂高虎、黒田長政、一柳直盛等とゝもに、一紙の御書をたまふ、十五日東照, 宮、野上と關原の間に御陣をすへらる、吉政父子先鋒に列し、すてに關原, 川水漲りて渡ることを得す、吉政淺瀬をたつね、加賀島の渡りを越て敵, 重綱とゝもに軍を發し、すみやかに合渡の邊にはせむかふといへとも、, 島津義弘の兵そのうしろにあり、吉政、黒田長政、藤堂高虎、生駒一正、松下, して、石田三成か兵士杉江勘兵衞某、森九郎兵衞某、村山理介某等出張し、, 御書を下されて、その功を賞せらる、このとき駿遠參の城々、みな御譜第, の諸將をして、まもらしめたまふにより、西尾岡崎の兩城を、水野勝成、松, 成等か兵、大に利を失ひて退散す、十六日筑前中納言秀秋、及ひ福島池田, 〓長十四年二月十八日, 關ケ原役, 吉政父子, ニオケル, 〓長十四年二月十八日, 七八

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  • 關ケ原役
  • 吉政父子
  • ニオケル

  • 〓長十四年二月十八日

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  • 七八

注記 (21)

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