『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.97

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其制法をもちふ、九月、太閤歸京のゝち、五奉行ををかる、長政其隨一たり、, 得す、政實遂に城のたもちかたきをはかり、其夜ひそかに長政か陣所に, ありて、岩手澤に御陣をすへらる、九月七日、御先手の將、井伊直政をよひ, と共に、搦手より攻寄るといへとも、はやく城門を閉るか故に、乘取事を, き進みたゝかはす、敵いよ〳〵機を得てこれを防くにより、外郭を破る, といへとも、すゝむ事を得す、兵士等多く討れて引退く、其後小田原沒落, り、強てせめ入けれとも、城兵しきりに鐵炮を放ち防き戰ひ、三成等か兵, 等と共に、陸奧國の田地を檢知し、不日にしてこれを沙汰す、今に至りて, 蒲生氏郷等、九戸城を圍て大にこれをせむ、長政は堀尾可晴、中村一氏等, をあつめ、近郷を掠め、土民をなやますのきこへあるにより、關白秀次を, 大將として進發せしめらる、このとき長政軍奉行たり、東照宮も御發向, にをよひしかは、長政この城をうけとる、七月、太閤陸奧國會津に發向し、, 十九年、南部大膳大夫信直か老臣九戸修理亮政實、陸奧國にをいて諸士, しよせは、速に陷るへしと、長政これをしかりとして、ひとつの橋をわた, 彼國の諸士こと〳〵く命にしたかふ、こゝにをいて、石田三成大谷吉繼, 慶長十六年四月七日, 陸奧ノ檢, ヲ降ス, 武藏忍城, 五奉行ノ, 奥州攻ノ, 軍奉行, 知, 隨, 慶長十六年四月七日, 九七

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  • 陸奧ノ檢
  • ヲ降ス
  • 武藏忍城
  • 五奉行ノ
  • 奥州攻ノ
  • 軍奉行

  • 慶長十六年四月七日

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  • 九七

注記 (26)

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