『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.98

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

ち、南部家の所領恙なかりし事は、長政さきに政實との約をたかへす、言, に、兵粮乏しく在陣かなひかたきにより、釜山浦近く軍を還す、然るに、明, 國、沈惟敬をして和をこひしかは、長政等名護屋の陣營に至りて、このよ, しをつく、太閤これを許容ありとい〓とも、いまたその事とゝのはす、明, らんとす、時に秀次のいはく、長政わか命をうけすして、政實をゆるせし, きたり、信直か本領を安堵せしめられき、速に城を退くへきのよしを告、, りし地、六千五百石をあたへらる、文祿元年、朝鮮征伐の時、石田三成、増田, 人を燒殺す、八日、政實ならひに久慈備前某を引て、秀次か陣營會津に至, 上せし旨あるによりてなり、二十二日、若狹國のうち、さきに藏いりとな, 攻破り、王子をとりこにすといへとも、明國の援兵數十萬襲ひ來るの故, 事無禮なりと怒り、長政に命して、中途にして政實を誅をしむ、凱旋のゝ, 兵日々にくはゝり、後援の將渡海せさりしかは、先手の諸將加勢をこふ, 長盛等と、をなしく渡海して、軍事を謀る、先手の諸將、すてに彼國の都を, 長政これを許諾し、政實をよひ南部か家臣櫛引出雲某を赦し、其餘數百, ことしきりなり、こゝにをいて、太閤、東照宮をよひ前田利家等と、日夜軍, 慶長十六年四月七日, 慶長十六年四月七日, 九八

  • 慶長十六年四月七日

ノンブル

  • 九八

注記 (18)

  • 1189,726,72,2153ち、南部家の所領恙なかりし事は、長政さきに政實との約をたかへす、言
  • 605,736,70,2142に、兵粮乏しく在陣かなひかたきにより、釜山浦近く軍を還す、然るに、明
  • 486,731,73,2142國、沈惟敬をして和をこひしかは、長政等名護屋の陣營に至りて、このよ
  • 370,736,72,2145しをつく、太閤これを許容ありとい〓とも、いまたその事とゝのはす、明
  • 1423,728,68,2143らんとす、時に秀次のいはく、長政わか命をうけすして、政實をゆるせし
  • 1775,722,64,2156きたり、信直か本領を安堵せしめられき、速に城を退くへきのよしを告、
  • 953,728,72,2145りし地、六千五百石をあたへらる、文祿元年、朝鮮征伐の時、石田三成、増田
  • 1538,724,71,2149人を燒殺す、八日、政實ならひに久慈備前某を引て、秀次か陣營會津に至
  • 1075,727,65,2145上せし旨あるによりてなり、二十二日、若狹國のうち、さきに藏いりとな
  • 720,726,70,2152攻破り、王子をとりこにすといへとも、明國の援兵數十萬襲ひ來るの故
  • 1302,720,73,2134事無禮なりと怒り、長政に命して、中途にして政實を誅をしむ、凱旋のゝ
  • 250,735,74,2138兵日々にくはゝり、後援の將渡海せさりしかは、先手の諸將加勢をこふ
  • 835,728,72,2147長盛等と、をなしく渡海して、軍事を謀る、先手の諸將、すてに彼國の都を
  • 1655,720,72,2149長政これを許諾し、政實をよひ南部か家臣櫛引出雲某を赦し、其餘數百
  • 136,746,72,2132ことしきりなり、こゝにをいて、太閤、東照宮をよひ前田利家等と、日夜軍
  • 1889,711,42,386慶長十六年四月七日
  • 1889,711,41,386慶長十六年四月七日
  • 1902,2454,38,75九八

類似アイテム