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市、山口傳之丞、原田庄三郎等馳きたり、正次が勇力を見てこれをほむ、天正十八年、小田, 原陣の時、井伊兵部少輔直政篠曲輪をせむるとき、正次はせきたり、敵兵, 軍法をそむきてはせめくるゆへ、罪せらるべかりしを、累世大權現の御家人たるゆへ、, 罪をゆるされて、しりぞき居す、其後めされて、台徳院殿につかへたてまつり、御鑓奉行, 九月二十八日、七十二歳こして死す、法名道光、, 右衞門等、正次が戰功を見て、直政に告ければ、直政きゝて、人鬼なりといふ、然ども正次, はせ、たがひに疵をかうふり、鑓をつきをり、一橋にしりぞきて殿ぬ、ときに池水之助が, となる, 家人堀へ落て、救ん事をこふ、こゝにをひて、正次立寄、これをたすく、松崎五八郎、椋原次, 〔寛政重修諸家譜〕, と鑓をあ, 天和六年, 井口, 奮戰し、敵兵小旗衆と鎗を合せ、創をかうふり、終に鎗を打おるといへとも、なを殿して、池水之助某か家臣隍に陷, りてありしをたすけて、引退しかは、直政か家臣松崎五八郎某、椋原次右衞門政直等、その働をみて、直政につく、直, て、拒きたゝかふ、味方力戰すといへとも、後援の兵なきをもつて、城外にしりそく、このとき、正次等踏とゝまりト, 小旗衆, ○寛政重修諸家譜小林正次譜ニハ、井伊兵部少輔直政か手に屬し、歩卒七十人を預けらる、直政、山角紀, 伊定勝か守れる篠曲輪を攻るのとき、城外より、其要書を穿しむるのところ、二十二日の夜、風雨烈し~, て台徳院殿につかへたてまつり、御鎗奉行となりて供奉し、元和元年の役にも從ひたてまつる、これ, 千百, よりさき武藏國入間多摩二郡のうちにをいて、采地五百石をたまふ、そのゝちつとめを辭しトアリ, ○寛政重修諸家譜小林正次譜ニハ、麹町の福壽院に葬, と稱す, る、のち代々葬地とす、妻ハ紀伊家の臣山田但馬某か, して、城壁たちまち倒る、直政その虚に乘して、城中に攻入、陣營に火を放つ、こゝにをいて、城兵等所々の持口を棄, かりしを、累世の御家人たるをもつてこれを宥められて退居す、のち免さる、慶長十九年、大坂御陣のとき、めされ, 女ト, 政大に感して、人鬼なりと稱し、嶋田義助の薙刀を與ふ、しかれとも正次、御軍令をそむきし事ありて、罪せらるへ, て、拒きたゝかふ、味方力戰すといへとも、後援の兵なきをもつて、城外にしりそく、このとき、正次等踏とゝまりト, 四, アリ、, りてありしをたすけて、引退しかは、直政か家臣松崎五八郎某、椋原次右衞門政直等、その働をみて、直政につく、直, 奮戰し、敵兵小旗衆と鎗を合せ、創をかうふり、終に鎗を打おるといへとも、なを殿して、池水之助某か家臣隍に陷, 人鬼ト稱, セラル, 井口宗貞, 歿ス, 戰功, 小田原ノ, 元和六年雜載, 三三〇
割注
- 小旗衆
- ○寛政重修諸家譜小林正次譜ニハ、井伊兵部少輔直政か手に屬し、歩卒七十人を預けらる、直政、山角紀
- 伊定勝か守れる篠曲輪を攻るのとき、城外より、其要書を穿しむるのところ、二十二日の夜、風雨烈し~
- て台徳院殿につかへたてまつり、御鎗奉行となりて供奉し、元和元年の役にも從ひたてまつる、これ
- 千百
- よりさき武藏國入間多摩二郡のうちにをいて、采地五百石をたまふ、そのゝちつとめを辭しトアリ
- ○寛政重修諸家譜小林正次譜ニハ、麹町の福壽院に葬
- と稱す
- る、のち代々葬地とす、妻ハ紀伊家の臣山田但馬某か
- して、城壁たちまち倒る、直政その虚に乘して、城中に攻入、陣營に火を放つ、こゝにをいて、城兵等所々の持口を棄
- かりしを、累世の御家人たるをもつてこれを宥められて退居す、のち免さる、慶長十九年、大坂御陣のとき、めされ
- 女ト
- 政大に感して、人鬼なりと稱し、嶋田義助の薙刀を與ふ、しかれとも正次、御軍令をそむきし事ありて、罪せらるへ
- て、拒きたゝかふ、味方力戰すといへとも、後援の兵なきをもつて、城外にしりそく、このとき、正次等踏とゝまりト
- 四
- アリ、
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- 奮戰し、敵兵小旗衆と鎗を合せ、創をかうふり、終に鎗を打おるといへとも、なを殿して、池水之助某か家臣隍に陷
頭注
- 人鬼ト稱
- セラル
- 井口宗貞
- 歿ス
- 戰功
- 小田原ノ
柱
- 元和六年雜載
ノンブル
- 三三〇
注記 (42)
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