『大日本史料』 12編 35 元和六年是歳~元和六年雑載 p.330

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市、山口傳之丞、原田庄三郎等馳きたり、正次が勇力を見てこれをほむ、天正十八年、小田, 原陣の時、井伊兵部少輔直政篠曲輪をせむるとき、正次はせきたり、敵兵, 軍法をそむきてはせめくるゆへ、罪せらるべかりしを、累世大權現の御家人たるゆへ、, 罪をゆるされて、しりぞき居す、其後めされて、台徳院殿につかへたてまつり、御鑓奉行, 九月二十八日、七十二歳こして死す、法名道光、, 右衞門等、正次が戰功を見て、直政に告ければ、直政きゝて、人鬼なりといふ、然ども正次, はせ、たがひに疵をかうふり、鑓をつきをり、一橋にしりぞきて殿ぬ、ときに池水之助が, となる, 家人堀へ落て、救ん事をこふ、こゝにをひて、正次立寄、これをたすく、松崎五八郎、椋原次, 〔寛政重修諸家譜〕, と鑓をあ, 天和六年, 井口, 奮戰し、敵兵小旗衆と鎗を合せ、創をかうふり、終に鎗を打おるといへとも、なを殿して、池水之助某か家臣隍に陷, りてありしをたすけて、引退しかは、直政か家臣松崎五八郎某、椋原次右衞門政直等、その働をみて、直政につく、直, て、拒きたゝかふ、味方力戰すといへとも、後援の兵なきをもつて、城外にしりそく、このとき、正次等踏とゝまりト, 小旗衆, ○寛政重修諸家譜小林正次譜ニハ、井伊兵部少輔直政か手に屬し、歩卒七十人を預けらる、直政、山角紀, 伊定勝か守れる篠曲輪を攻るのとき、城外より、其要書を穿しむるのところ、二十二日の夜、風雨烈し~, て台徳院殿につかへたてまつり、御鎗奉行となりて供奉し、元和元年の役にも從ひたてまつる、これ, 千百, よりさき武藏國入間多摩二郡のうちにをいて、采地五百石をたまふ、そのゝちつとめを辭しトアリ, ○寛政重修諸家譜小林正次譜ニハ、麹町の福壽院に葬, と稱す, る、のち代々葬地とす、妻ハ紀伊家の臣山田但馬某か, して、城壁たちまち倒る、直政その虚に乘して、城中に攻入、陣營に火を放つ、こゝにをいて、城兵等所々の持口を棄, かりしを、累世の御家人たるをもつてこれを宥められて退居す、のち免さる、慶長十九年、大坂御陣のとき、めされ, 女ト, 政大に感して、人鬼なりと稱し、嶋田義助の薙刀を與ふ、しかれとも正次、御軍令をそむきし事ありて、罪せらるへ, て、拒きたゝかふ、味方力戰すといへとも、後援の兵なきをもつて、城外にしりそく、このとき、正次等踏とゝまりト, 四, アリ、, りてありしをたすけて、引退しかは、直政か家臣松崎五八郎某、椋原次右衞門政直等、その働をみて、直政につく、直, 奮戰し、敵兵小旗衆と鎗を合せ、創をかうふり、終に鎗を打おるといへとも、なを殿して、池水之助某か家臣隍に陷, 人鬼ト稱, セラル, 井口宗貞, 歿ス, 戰功, 小田原ノ, 元和六年雜載, 三三〇

割注

  • 小旗衆
  • ○寛政重修諸家譜小林正次譜ニハ、井伊兵部少輔直政か手に屬し、歩卒七十人を預けらる、直政、山角紀
  • 伊定勝か守れる篠曲輪を攻るのとき、城外より、其要書を穿しむるのところ、二十二日の夜、風雨烈し~
  • て台徳院殿につかへたてまつり、御鎗奉行となりて供奉し、元和元年の役にも從ひたてまつる、これ
  • 千百
  • よりさき武藏國入間多摩二郡のうちにをいて、采地五百石をたまふ、そのゝちつとめを辭しトアリ
  • ○寛政重修諸家譜小林正次譜ニハ、麹町の福壽院に葬
  • と稱す
  • る、のち代々葬地とす、妻ハ紀伊家の臣山田但馬某か
  • して、城壁たちまち倒る、直政その虚に乘して、城中に攻入、陣營に火を放つ、こゝにをいて、城兵等所々の持口を棄
  • かりしを、累世の御家人たるをもつてこれを宥められて退居す、のち免さる、慶長十九年、大坂御陣のとき、めされ
  • 女ト
  • 政大に感して、人鬼なりと稱し、嶋田義助の薙刀を與ふ、しかれとも正次、御軍令をそむきし事ありて、罪せらるへ
  • て、拒きたゝかふ、味方力戰すといへとも、後援の兵なきをもつて、城外にしりそく、このとき、正次等踏とゝまりト
  • アリ、
  • りてありしをたすけて、引退しかは、直政か家臣松崎五八郎某、椋原次右衞門政直等、その働をみて、直政につく、直
  • 奮戰し、敵兵小旗衆と鎗を合せ、創をかうふり、終に鎗を打おるといへとも、なを殿して、池水之助某か家臣隍に陷

頭注

  • 人鬼ト稱
  • セラル
  • 井口宗貞
  • 歿ス
  • 戰功
  • 小田原ノ

  • 元和六年雜載

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  • 三三〇

注記 (42)

  • 1798,687,55,2131市、山口傳之丞、原田庄三郎等馳きたり、正次が勇力を見てこれをほむ、天正十八年、小田
  • 1681,690,59,1754原陣の時、井伊兵部少輔直政篠曲輪をせむるとき、正次はせきたり、敵兵
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  • 210,271,39,166井口宗貞
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  • 1913,720,43,249元和六年雜載
  • 1915,2418,40,118三三〇

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