『大日本史料』 12編 11 慶長十八年三月~同年九月 p.425

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

をう〓、是年の秋、太閤在陣の諸將乃征伐に怠るをいかり、催促努らるゝ, といへとも、擬議してすゝます、時に幸長、毛利秀元、黒田長政等とゝもに、, 退治すへきの命をのうぬる、時に太閤の請によりて、東照宮より、本多忠, を築そこれみよよ、後加藤清正とゝもに、所々の城を攻落し、生捕もまた, おほし、四年、和議なよによ李歸朝す、慶長二年、明兵、朝鮮に加勢すときこ, 眞先に軍をすゝめて、敵地をめくり、産陽に陣す、この地蔚山をさる事、數, 十里にして大河あり、かの岸に物見の兵ををくのところ、十二月二十一, よりて政宗とおなしく、釜山浦にをいて諸將に會す、かくて西生浦に城, おもむかむはとをこひ申をしろき、太閤其意を感して、此事をゆるさよ、, をくはたて、肥後國多くは彼に屬にる乃聞あしにより、幸長發向しず, 又命をうけて朝鮮に渡海す、時, 〓け〓き、多たむひ渡海し、また、西生浦を護り、諸將と牒しあはをて敵兵, に伊達政宗、長政と親しみあ多かゆへに、幸長のうしろみとして、彼國に, 勝を添たまふ、すてに筑後、肥後の境、北の關に至よのところ、賊徒等誅に, 伏するのよしに老ありけれは、中途より軍をろゑし, 慶長十八年八月二十五日, 爲メニ、肥後二赴クコトヲ、文祿二年二係, ケタレドモ、共二文祿元年六月ノ誤ナリ, 北國兼ヲ討タンガ, 淺野考譜二モ梅, 朝鮮ニ渡, 西生浦ヲ, 朝鮮再度, 海ス, 守ル, ノ渡海, 慶長十八年八月二十五日, 四二五

割注

  • 爲メニ、肥後二赴クコトヲ、文祿二年二係
  • ケタレドモ、共二文祿元年六月ノ誤ナリ
  • 北國兼ヲ討タンガ
  • 淺野考譜二モ梅

頭注

  • 朝鮮ニ渡
  • 西生浦ヲ
  • 朝鮮再度
  • 海ス
  • 守ル
  • ノ渡海

  • 慶長十八年八月二十五日

ノンブル

  • 四二五

注記 (28)

  • 622,739,64,2123をう〓、是年の秋、太閤在陣の諸將乃征伐に怠るをいかり、催促努らるゝ
  • 505,737,62,2158といへとも、擬議してすゝます、時に幸長、毛利秀元、黒田長政等とゝもに、
  • 1795,740,64,2148退治すへきの命をのうぬる、時に太閤の請によりて、東照宮より、本多忠
  • 975,737,64,2144を築そこれみよよ、後加藤清正とゝもに、所々の城を攻落し、生捕もまた
  • 857,742,64,2136おほし、四年、和議なよによ李歸朝す、慶長二年、明兵、朝鮮に加勢すときこ
  • 386,733,63,2146眞先に軍をすゝめて、敵地をめくり、産陽に陣す、この地蔚山をさる事、數
  • 268,736,64,2121十里にして大河あり、かの岸に物見の兵ををくのところ、十二月二十一
  • 1089,744,67,2144よりて政宗とおなしく、釜山浦にをいて諸將に會す、かくて西生浦に城
  • 1208,744,62,2159おもむかむはとをこひ申をしろき、太閤其意を感して、此事をゆるさよ、
  • 1911,746,61,2152をくはたて、肥後國多くは彼に屬にる乃聞あしにより、幸長發向しず
  • 1441,1962,57,927又命をうけて朝鮮に渡海す、時
  • 738,737,65,2142〓け〓き、多たむひ渡海し、また、西生浦を護り、諸將と牒しあはをて敵兵
  • 1326,737,64,2152に伊達政宗、長政と親しみあ多かゆへに、幸長のうしろみとして、彼國に
  • 1678,739,65,2150勝を添たまふ、すてに筑後、肥後の境、北の關に至よのところ、賊徒等誅に
  • 1562,738,59,1573伏するのよしに老ありけれは、中途より軍をろゑし
  • 170,734,45,468慶長十八年八月二十五日
  • 1477,737,46,1202爲メニ、肥後二赴クコトヲ、文祿二年二係
  • 1433,741,44,1194ケタレドモ、共二文祿元年六月ノ誤ナリ
  • 1544,2335,44,541北國兼ヲ討タンガ
  • 1590,2371,41,512淺野考譜二モ梅
  • 1477,303,42,172朝鮮ニ渡
  • 1125,303,42,162西生浦ヲ
  • 892,297,40,176朝鮮再度
  • 1435,302,42,76海ス
  • 1082,301,38,74守ル
  • 849,304,40,125ノ渡海
  • 169,734,46,468慶長十八年八月二十五日
  • 167,2466,41,123四二五

類似アイテム