『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.517

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の猪のしゝ武者有、是いたらぬ者の好む血氣の勇者なり、光源院殿, なるへし、しろるをさス、美女は惡女のかたきと申かことく、不道なる者と, 云々、永祿、元龜、天正年中、度々の兵亂切々の合戰にあひ給ひしか共、少の越, やう、さやうの侍たゝ一人侍り、名をは細川兵部大輔と申か、それを御かゝ, も、此藤孝公は諸藝には達し給へれとも、武篇はよはかりしと御名をたて, へ候はんつといはれけれは、かの小名あきれて物もえいはて立歸りしを, つよき冥加の侍、和歌の道まてたえたるをつきたる名匠ハ、上代にもまま, 度なく、表裏者のなもなく、道理のをす方へ御方し、かすでをも負給はす、後, かは、此治右衞門人なぶりのをこの仁、しかも口きゝにて有しが、答ていふ, し事有、其根元をたつぬれは筋もなき事也、此含兄に水淵大和殿とて大剛, 連歌、亂舞、手跡、弓馬の道も心えたる仁あれかし、わらはことき小名は大勢, 者あらは、かゝへたきよし有しに、いかやうの御好みにか侍るととへは、歌, かゝへかたきにより、一人して大勢の用を達する者所望なりといはれし, には丹後の國主となり給しか、御子孫繁昌有て、慶長の比まておはし、武運, りし桑原治右衞門に、ある九州の侍申さく、此地にわかこのむ所のごとき, 義輝、, 〇足利, 終ニ創痍, 邊弱カリ, シト云フ, ヲ達スル, 一人ニテ, 説ノ駁論, モノ, 大勢ノ用, 藤孝ハ武, ヲ被ラズ, 慶長十五年八月二十日, 五一七

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  • 義輝、
  • 〇足利

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  • 終ニ創痍
  • 邊弱カリ
  • シト云フ
  • ヲ達スル
  • 一人ニテ
  • 説ノ駁論
  • モノ
  • 大勢ノ用
  • 藤孝ハ武
  • ヲ被ラズ

  • 慶長十五年八月二十日

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  • 五一七

注記 (29)

  • 280,628,63,2009の猪のしゝ武者有、是いたらぬ者の好む血氣の勇者なり、光源院殿
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