『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.1044

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桔梗花紋者、存富田氏之號也, 私ニ曰、今ノ外輪ノ出口ノ門々ハ、寛文八年ニ出來スト云々、, て東の丸へ橋かゝり、東の丸大手口なり、高山樣其口をふさき被成、西の, 入にほり立申候、其土を東の方は築地ほり川の町やの地形に被仰付、西, 丸搦手口一方にあそはし候、東の丸にさしつゝき、南の方に中の丸とて、, 不戌事に候、何をさし置候ても、居城なくてはならを候と段々被仰付、只, 々商買のために候間、町役にほり立可申之由被仰付、深さ一丈二尺の舟, て、何かの時、家中侍共の妻子入置可申所もなく、せめて方十町ならては, 玉置覺書富田信濃殿在城の時は、分部町不動院居申候處、城への道に, の方は寺町に出し候やうに地形つき可申旨被仰付候、さて銕炮大役小, 一丸御座候を御取はらひ、一面の池に被仰付候、御身上不相應の小城に, 〔高山公實録〕〓慶長十六年, 今のほり川は、どこともなく、洲崎のすな山の松はらにてしほくれは、後, 正月、津の城を拓修し給ふ, 宗國史公下輿、撤東城門、以西城一面通牙城、正門左側樓屋瓦端、今猶署, 〔高山公實録〕〓慶長十六年松〓五正月、津の城を拓修し給ふ、〓, 文公室年, ○中略、上, 公年五, 十六, 譜略、津城修築ノ, コトヲ載セタリ、, 慶長十六年正月是月, 一〇四四

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  • 文公室年
  • ○中略、上
  • 公年五
  • 十六
  • 譜略、津城修築ノ
  • コトヲ載セタリ、

  • 慶長十六年正月是月

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  • 一〇四四

注記 (24)

  • 1351,707,57,862桔梗花紋者、存富田氏之號也
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