『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.471

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きとの上意有りしを、行末の塘と號け、又新地の中に小川有を、行末川と云, 高千四百六十五石八斗、反高壹石四斗、, 平田四五町も有へし、又山里の地は、荊糠茂りて、耕稼の地少かりけるを、山, 右者慶長年中、加藤君御築立の行末塘、并田地之數也、行末所柄繁昌致すへ, 世に至、海川の堤防堅固に成、一圓殘る所無之、稼〓の田地を開き、永代無窮, 戰無止時、海川の堤防を營力無處より、荒地多、稼〓の開務さるに、神君之御, に傳へたる田數穀數を量らは、大墾にもまさるへし、今所柄の官舍に、史録, 無故、里俗之聞傳へたる事と、水理地利の形容を見、内田坂下荒尾三手永の, 村の間迄開明て、耕作する畝數量り難き、天正以前の年穀に對算せん時は, 廣大の出來増なるへし、是に因て、逐年民數増長す、則天地之造化、生々の萬, 田數百四町七反内, ては、小領主地を裂ひて、僅宛の地を所務せられけるに、年久しく、世亂て合, 々歳に傳ふ、誠ニ社〓の御神也、, 塘筋貳百五十八間, 行末塘新墾の事、, 反、坂下手永, 半、高壹間半、石垣た, セ十三町九, 根張十二間、築留幅三間, 扇崎列六ケ村、三十町八, 反、荒尾手永腹赤村新村, 行末塘, 慶長十六年六月二十四日, 四七一

割注

  • 反、坂下手永
  • 半、高壹間半、石垣た
  • セ十三町九
  • 根張十二間、築留幅三間
  • 扇崎列六ケ村、三十町八
  • 反、荒尾手永腹赤村新村

頭注

  • 行末塘

  • 慶長十六年六月二十四日

ノンブル

  • 四七一

注記 (24)

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