『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.544

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十二日卒去、, の祖廟たり、, 人御一人は、酒井攝津守某に嫁せらる、, 陣中にて誕生あり、高麗御曹司と稱す、, 祠官として、日州延岡に御鎭座あり、春秋の祭禮怠らす、今に至て當家中興, 御靈公男女の御子七人まします、御嫡子は松園公、後に記す、御長女, は、家臣西郷右衞門尉純經に嫁せらる、, 御二男は、有馬右京亮純貞、此御母は、, 家臣荒木伊賀守か婦なりしを召して、妾としたまひ、文祿四年乙未、朝鮮御, 此御母は、山田兵部少輔純規か女に, て、大上殿と云法名を寶梢院殿簾譽清玉大姉と號す、慶長二年丁酉六月二, 御女子二, つ後と全松氏下墓氏賀山な, 彪謹案國乘遺聞、元龜元年、西郷右衞, 歟抑西郷之叛我以慶長之初歟存疑, 歳、不得有公女而又嫁人乎、蓋公之女弟, 松園公, 此酒井、いつれの家なるや、分明なら, 甲州初鹿野郷丸林村といふ所天目山の入口にて、天目山まて, 白道寺御位牌には、文祿一, 年癸巳正月二十二日と云, 門、叛有馬而屬龍造寺是歳、公齡甫四, 今の内匠純庶か祖なり、, 有馬忠兵衞純久つ父にて, 今案るに、御葬地の事、近頃御穿鑿ありといへとも、分明ならす、, の御姉、, す、左衞門尉忠次の家に、攝津守忠常, 衞門といふ者、有馬氏の女をもらひて妻とす、是に因て、其家に有馬氏の槍, 今に在と云、丸林は即ち前林ならんつ、有賀氏に嫁する女子恐くは後に, 并武具類をも傳へたりしか、其後、燒失して今はなし、其人有馬氏の墓を神, に祝ひて、有賀八幡と云其地は、日川の東田野村の内にあり、大石の下に、石, 記す所の、菊亭氏の生みたまふ二女子の中なるへし、猶後の考を俟つ, を重ねて祠にかたとり其内に小き木の宮を入たり、其地昔は有賀氏の田, 一里餘あり、此所昔は十六屋敷とて、民家僅に十六軒あり、其内に、有賀善左, に葬る、丸林の上に在、法名を西入禪定門といふ、其墓石數年前まて、全くあ, 地なりしつと、今は他人の手に渡れり、善左衞門は死して、水野田の松知際, りしか、今はかけて半分殘れり、名は見へす、其正統の子孫、太左衞門と云者, スル説, 葬地ニ關, 慶長十七年三月二十一日, 五四四

割注

  • 彪謹案國乘遺聞、元龜元年、西郷右衞
  • 歟抑西郷之叛我以慶長之初歟存疑
  • 歳、不得有公女而又嫁人乎、蓋公之女弟
  • 松園公
  • 此酒井、いつれの家なるや、分明なら
  • 甲州初鹿野郷丸林村といふ所天目山の入口にて、天目山まて
  • 白道寺御位牌には、文祿一
  • 年癸巳正月二十二日と云
  • 門、叛有馬而屬龍造寺是歳、公齡甫四
  • 今の内匠純庶か祖なり、
  • 有馬忠兵衞純久つ父にて
  • 今案るに、御葬地の事、近頃御穿鑿ありといへとも、分明ならす、
  • の御姉、
  • す、左衞門尉忠次の家に、攝津守忠常
  • 衞門といふ者、有馬氏の女をもらひて妻とす、是に因て、其家に有馬氏の槍
  • 今に在と云、丸林は即ち前林ならんつ、有賀氏に嫁する女子恐くは後に
  • 并武具類をも傳へたりしか、其後、燒失して今はなし、其人有馬氏の墓を神
  • に祝ひて、有賀八幡と云其地は、日川の東田野村の内にあり、大石の下に、石
  • 記す所の、菊亭氏の生みたまふ二女子の中なるへし、猶後の考を俟つ
  • を重ねて祠にかたとり其内に小き木の宮を入たり、其地昔は有賀氏の田
  • 一里餘あり、此所昔は十六屋敷とて、民家僅に十六軒あり、其内に、有賀善左
  • に葬る、丸林の上に在、法名を西入禪定門といふ、其墓石數年前まて、全くあ
  • 地なりしつと、今は他人の手に渡れり、善左衞門は死して、水野田の松知際
  • りしか、今はかけて半分殘れり、名は見へす、其正統の子孫、太左衞門と云者

頭注

  • スル説
  • 葬地ニ關

  • 慶長十七年三月二十一日

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  • 五四四

注記 (41)

  • 541,633,54,350十二日卒去、
  • 1711,627,55,349の祖廟たり、
  • 188,638,60,1145人御一人は、酒井攝津守某に嫁せらる、
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  • 891,645,61,1140は、家臣西郷右衞門尉純經に嫁せらる、
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  • 779,1789,57,1062此御母は、山田兵部少輔純規か女に
  • 657,636,64,2209て、大上殿と云法名を寶梢院殿簾譽清玉大姉と號す、慶長二年丁酉六月二
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