『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.1004

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

たんとし〓、あやうかりしかは、彌次右衞門家長, けは、味方利を失ふへし、速に兵をおさめむ事を欲といへとも、某一人の, 々羅、飯田の兩城を抜、よりが濱松より四千餘騎、三野川に出張し、す第に, xひ、且其疵を問せたまふ、元龜元年、姉川の役に扈從し、御摩下にをいて、, のうち、こゝに出多もの半なり、武田か大兵に敵しかたし、強第一戰をと, を攻多みより、これを救はせ嘗あはむと第、御出馬のとき、信成御先にす, しは〳〵戰ひ、首級を得たり、三年十月、武田信玄、遠江國に兵をすゝめ、多, 先軍一言坂にをい第、武田か兵と接戰す、ときに信成かいはく、我兵八千, 松にかへる、東照宮、信成等か勇戰を賞せらる、後武田の兵、遠江國二俣城, 命を全うすることを得たり、のち、成瀬藤八國次をも第、其功を感賞しを, これをしかりとし第、相ともに後殿となり奮戰し、にゐに兵を引あを、濱, 力に及はすとて、本多平八郎忠勝、大久保七郎右衞門忠世等と議す、二將, 銕炮、信成か左の股にあたる、このとき、敵兵三人すゝみ來りて、信成をう, つて敵を射、また、家臣岡田甚左衞門某馳來りて、敵を追しりとき、にゐに, ゝみ、天龍の川中母をいて、物見の武者を討と〓、十二月、三方原合戰のと, 弓をも, 慶長十七年七月二十四日, ○別本内藤家譜, 等、父清長二作ル, ルト〓傷, ノ後殿, 城ヲ攻ム, 遠江掛川, 一言坂役, ヲ負フ, 一〇〇四

割注

  • ○別本内藤家譜
  • 等、父清長二作ル

頭注

  • ルト〓傷
  • ノ後殿
  • 城ヲ攻ム
  • 遠江掛川
  • 一言坂役
  • ヲ負フ

ノンブル

  • 一〇〇四

注記 (26)

  • 1677,743,58,1415たんとし〓、あやうかりしかは、彌次右衞門家長
  • 744,740,69,2129けは、味方利を失ふへし、速に兵をおさめむ事を欲といへとも、某一人の
  • 1093,745,67,2127々羅、飯田の兩城を抜、よりが濱松より四千餘騎、三野川に出張し、す第に
  • 1326,738,67,2152xひ、且其疵を問せたまふ、元龜元年、姉川の役に扈從し、御摩下にをいて、
  • 864,744,66,2132のうち、こゝに出多もの半なり、武田か大兵に敵しかたし、強第一戰をと
  • 281,745,67,2133を攻多みより、これを救はせ嘗あはむと第、御出馬のとき、信成御先にす
  • 1211,734,65,2144しは〳〵戰ひ、首級を得たり、三年十月、武田信玄、遠江國に兵をすゝめ、多
  • 977,734,69,2143先軍一言坂にをい第、武田か兵と接戰す、ときに信成かいはく、我兵八千
  • 395,742,71,2138松にかへる、東照宮、信成等か勇戰を賞せらる、後武田の兵、遠江國二俣城
  • 1443,740,65,2139命を全うすることを得たり、のち、成瀬藤八國次をも第、其功を感賞しを
  • 516,749,68,2132これをしかりとし第、相ともに後殿となり奮戰し、にゐに兵を引あを、濱
  • 631,745,66,2135力に及はすとて、本多平八郎忠勝、大久保七郎右衞門忠世等と議す、二將
  • 1790,734,64,2143銕炮、信成か左の股にあたる、このとき、敵兵三人すゝみ來りて、信成をう
  • 1556,744,66,2130つて敵を射、また、家臣岡田甚左衞門某馳來りて、敵を追しりとき、にゐに
  • 162,758,71,2119ゝみ、天龍の川中母をいて、物見の武者を討と〓、十二月、三方原合戰のと
  • 1691,2674,44,197弓をも
  • 1905,730,44,470慶長十七年七月二十四日
  • 1712,2175,43,481○別本内藤家譜
  • 1668,2174,42,467等、父清長二作ル
  • 1746,306,38,163ルト〓傷
  • 488,313,41,119ノ後殿
  • 1787,296,42,162城ヲ攻ム
  • 1832,296,42,171遠江掛川
  • 534,325,40,151一言坂役
  • 1701,303,40,113ヲ負フ
  • 1916,2478,40,153一〇〇四

類似アイテム