『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.664

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とおなしく合戰の事を議せしに、群議決さすして深更に及ふ、忠重いひけ, 首級を得たり、三好か兵もりかへして相戰ひ、味方利をうしなはむとせし, 列をきくに、三好秀次は後陣に備へしよしなり、ここを襲ひうたは、かなら, に、忠重從兵八人を率ゐてぬせき戰ひしかは、我兵敗れすして、軍を小幡に, おは、敵は大軍、味方は微勢なれは、對陣して戰はむこと難かる〓し、敵の軍, す敗るたしと、衆其議にしたかひ、黎明に及ひ、忠重、氏次とのきにすゝみ、三, 好か陣後より不意におこりてせめ戰ひ、おほいにこれをるぬり、あ万たの, おさめらるゝにをよひ、忠重、本多忠勝とゝもに御前に出て、今秀吉龍泉寺, に陣す、忠勝か士卒いまた戰はす、勇氣なをけかむ〓り、忠重か兵を加へ、夜, に入て敵乃不意をうたは、勝利を得たまはん事この一擧にありと申す、東, 鋒となり、馬の轡を卷、ひをかに出立て、初夜過なころ小幡城にい苦り、諸將, けて、小牧山に御出陣あり、八日の黄昏、忠重、岡部彌次郎長盛、大須賀五郎左, 衞門康高、榊原小平太康政、本多豐後守廣孝、丹羽勘助氏次等とお又しと先, 水野忠重, 照宮其謀を善とした了〓とも、ふかく御思慮ありてこれをゆるしたアは, 四月、東照宮、信雄を援, 〔寛政重修諸家譜, 衞、和泉守、, 藤十郎、惣兵, 十八, 三百二, 頃小幡ニ, 諸將忠重, ノ議ニ從, 先鋒ノ諸, 將戰略ヲ, 議ス, 入ル, 初夜過ル, 天正十二年四月九日, 六六四

割注

  • 衞、和泉守、
  • 藤十郎、惣兵
  • 十八
  • 三百二

頭注

  • 頃小幡ニ
  • 諸將忠重
  • ノ議ニ從
  • 先鋒ノ諸
  • 將戰略ヲ
  • 議ス
  • 入ル
  • 初夜過ル

  • 天正十二年四月九日

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  • 六六四

注記 (31)

  • 1315,614,73,2200とおなしく合戰の事を議せしに、群議決さすして深更に及ふ、忠重いひけ
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