『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.633

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長吉, らへて、川を渡し、敵陣を追撃こと二里餘、首七百餘級をうちとり、飛檄を, 正則を首將として、西國乃諸將は、萩原の渡りをこ、岐阜城にむかふへ, し、搦手き、輝政を首將として、淺野幸長、山内一豐、有馬豐氏、一柳直盛等は、, をのりいれす、一番に川をわたす、輝政か先陣伊木清兵衞忠次、これを見, 〓、上乃瀬に馬をはせいる、これにより、輝政か兵七千餘騎く〓はみをな, 駕に先たちて進發す、井伊直政、本多忠勝、軍監たり、このとを、駿河、遠江、三, 新加納川をわたすへしと相約し、二十二日、輝政等、軍を發して、河田のわ, るのところ、また村越茂助直吉を御使として、連名の御書を下さる、二十, た、進退等の事、御出馬以前き、その指揮にまかすへをのむ手、輝政、をよひ, 村に陣とり、輕卒を出して、川表をぬさかんとす、ときに直盛、下の瀬に馬, 一日、東國よりはせのほる諸將等、岐阜城ををむるの軍列を議し、大手は, たりにいたるのところ、城兵百々越前守綱家、三千餘騎を率ゐて、新加納, 河、尾張四國の人質を、吉田城にをかる、四日、直政をつかはさるゝのあひ, るへしと〓、輝政をよひ福島正則に、海道の先陣を命せらる、八月朔日、台, 九鬼長門守守隆連名の御書をたまふ、十九日、清洲に著陣す, 慶長十八年正月二十五日, ○輝政, ノ弟, 弟, 鋒トナル, ト共ニ先, 慶長十八年正月二十五日, 六三三

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  • ○輝政
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  • 鋒トナル
  • ト共ニ先

  • 慶長十八年正月二十五日

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  • 六三三

注記 (24)

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