『大日本史料』 12編 11 慶長十八年三月~同年九月 p.428

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屯し、御本陣のうし法にあたれわ、もし合戰乃最中、襲ひ來る事もあるへ, を攻むとす、幸長は、池田輝政とゝもに、しはらく軍をとゝめて、城兵乃押, とれる、時に敵兵にはかに襲ひ來るにより、輝政とゝもに、新加納川を渡, 功を御感ありて、東照宮、台徳院殿より御書を賜〓、九月十四日、美濃國赤, 洛中洛外にたてゝ、暴逆の者を禁す、二十一日、井伊直政等とともに、大坂, り、木造左衞門某を撃てこれをはしらしめ、大に勝利を得童り、このとき, 彦右衞門某か首を得むり、また、敵兵五百餘人をうちとる、後これらの軍, 坂圓山に御着陣あり、明日御一戰あよへきのところ、敵乃大軍南宮山に, 味方うちとよ處の首千餘級、二十三日、三成か家人、柏原彦右衞門某の衞, し、あらかしめこ〓か押たるへきのよし、おほををつうぬり、池田輝政と, 則等とゝもに、おほさをうけたまはにて、京師におもむき、禁裡を守護す, るところの、瑞龍寺乃砦をせむ、敵兵出戰ふといへとも、速にこれを破れ、, 城にむかふ、時に増田長盛は、豐臣秀頼を奉して本城にあり、毛利輝元き, 又、鈞命により、京都をよひ諸國の制札に勢、三人連署の判形を加た、楞を, ゝもに、彼山の麗に陣す、關原の合戰に、逆徒伏誅のゝち、池田輝政、福島正, 慶長八年八月二十五日, 役後京都, ヲ警衞ス, 城ヲ攻ム, 四二八

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  • 役後京都
  • ヲ警衞ス
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  • 四二八

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  • 876,759,56,2115屯し、御本陣のうし法にあたれわ、もし合戰乃最中、襲ひ來る事もあるへ
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