『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.698

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

るに比なし、去れから、彼〓魂人を掌に握込たる躰、只者にあらす、此家中に, か前にて、人もなけなる過言推參なりと憤る、又兵衞云やう、右京の無禮、譬, 公は若輩なり、關東の御内存行す〓計かたし、若變もあらはとて、輝政、先手, る處に、殿樣御召なりと呼けれは、右京座を立たり、掃部助云やう、さて〳く、, 上方への往來、海陸肝要の所なり、殊に程近き大阪諸浪人の集り所也、秀頼, 録國清公言行、, 又、或時、伊木豐後と、若原右京矛楯の事あり、其濫觴を尋るに、豐後は第一の, 乃選上手なりと、却而感嘆しけるとそ、されは、播磨乃童謠に、右京、主殿に及, ひもなひかせめて成たや殿樣にと謠しと也、是にて其時の權勢思ひやる, く、一人當千成へし、只今吐たる廣言程乃事、仕兼へき者にあらす、大守は人, の義もあらは、我等に尋給へといふ、三人の者、不興顏にそ、言を出さす居た, 荒凉なる事いふ〓き奴かな、あの男の働といはゝ、關原一戰のみなり、我ら, 旗本集り勢一切の備配りを、兼て定置處也、其外三ケ國の國法軍法、御不審, 〓し、, 長臣にて、播州三木の城主たり、又若原右京は、中村主殿と同しく、御領國の, 京トノ確, ノ權勢, ト若原右, 伊木豐後, 中村主殿, 若原右京, 勢, 慶長十八年正月二十五日, 六九八

頭注

  • 京トノ確
  • ノ權勢
  • ト若原右
  • 伊木豐後
  • 中村主殿
  • 若原右京

  • 慶長十八年正月二十五日

ノンブル

  • 六九八

注記 (24)

  • 965,644,82,2210るに比なし、去れから、彼〓魂人を掌に握込たる躰、只者にあらす、此家中に
  • 1085,648,81,2214か前にて、人もなけなる過言推參なりと憤る、又兵衞云やう、右京の無禮、譬
  • 1666,630,85,2221公は若輩なり、關東の御内存行す〓計かたし、若變もあらはとて、輝政、先手
  • 1312,633,87,2231る處に、殿樣御召なりと呼けれは、右京座を立たり、掃部助云やう、さて〳く、
  • 1785,627,82,2224上方への往來、海陸肝要の所なり、殊に程近き大阪諸浪人の集り所也、秀頼
  • 376,719,59,428録國清公言行、
  • 259,655,89,2201又、或時、伊木豐後と、若原右京矛楯の事あり、其濫觴を尋るに、豐後は第一の
  • 731,648,82,2211乃選上手なりと、却而感嘆しけるとそ、されは、播磨乃童謠に、右京、主殿に及
  • 616,650,80,2214ひもなひかせめて成たや殿樣にと謠しと也、是にて其時の權勢思ひやる
  • 846,643,85,2216く、一人當千成へし、只今吐たる廣言程乃事、仕兼へき者にあらす、大守は人
  • 1430,638,81,2214の義もあらは、我等に尋給へといふ、三人の者、不興顏にそ、言を出さす居た
  • 1196,636,84,2221荒凉なる事いふ〓き奴かな、あの男の働といはゝ、關原一戰のみなり、我ら
  • 1546,632,89,2220旗本集り勢一切の備配りを、兼て定置處也、其外三ケ國の國法軍法、御不審
  • 497,646,51,138〓し、
  • 142,660,87,2196長臣にて、播州三木の城主たり、又若原右京は、中村主殿と同しく、御領國の
  • 207,287,40,171京トノ確
  • 557,281,43,127ノ權勢
  • 250,294,40,161ト若原右
  • 294,284,44,172伊木豐後
  • 603,278,42,172中村主殿
  • 648,278,42,171若原右京
  • 161,287,43,39
  • 1900,696,50,472慶長十八年正月二十五日
  • 1924,2430,44,117六九八

類似アイテム