『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.717

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のくに小天神はくわんおなし一りんほうになりたるそや, て、是ゟ南備前堀、これゟ南播磨堀、作州堀と云傳へり, 〔池田家履歴略記〕三慶長六年辛丑修姫路城、, うかち、兩岸に堤つき、松樹をうへらる、播備作の人夫にて築かれしと云、堀, 小者二口〆千百七拾人, の惣名を、今は三左衞門殿堀と唱へ、三國の役夫の堀し所も、今に堺〳〵有, 〓磨門ゟ南にあたる野中に、南北一里餘、はゝ二十間はかりの長堀を, いろ〳〵のきとうおしてあれとも、すこしものかさるそや、とうとうみ, 水主二口〆七百人、, 舟頭二口〆五拾五人, 〔附録〕, 〔歡喜院文書〕, ふしたるそや、かゝるたいほうあし〓}□□□ほと□〓おいのり、, ○上, 里民の説には、慶長十, 斷闕、, 一二年の頃、穿れしと, ○上文, 年より後の事なるへし、な&追て吟味す〓し、, 略, 云、去なつら、たしかなる事をしらす、美作の人夫出し事いつなる事にや、若, 淡路の人夫をつたへあやまれるもしるへつらす、左あらんには、慶長十五, ○姫路築城ノコトハ、十三年是歳ニ其條アリ, 姫路ノ三, 左衞門堀, 慶長十八年正月二十五日, 七一七

割注

  • ○上
  • 里民の説には、慶長十
  • 斷闕、
  • 一二年の頃、穿れしと
  • ○上文
  • 年より後の事なるへし、な&追て吟味す〓し、
  • 云、去なつら、たしかなる事をしらす、美作の人夫出し事いつなる事にや、若
  • 淡路の人夫をつたへあやまれるもしるへつらす、左あらんには、慶長十五
  • ○姫路築城ノコトハ、十三年是歳ニ其條アリ

頭注

  • 姫路ノ三
  • 左衞門堀

  • 慶長十八年正月二十五日

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  • 七一七

注記 (27)

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