『大日本史料』 12編 11 慶長十八年三月~同年九月 p.269

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の陣にかへな、敵との不敵ななことを感す、十二年、長久手の役に御鎗奉, 中に追入、このむ手御聽に達をしかは、軍令を背き、抜駈せし事を咎めら, かへされ、濱松城にいらをたまふにをよひて、敵兵したひ來る事急なり、, ふ、さらはその指物、さしでたまはれとて、脊を出し、これをさゝしめ、味方, このとを敵の伏兵、一同に起てこれを拒く、重勝等挑み戰す、遂に敵を城, 衞門某、熊谷小市郎某等と共に、先登をこゝろかけて、城壁にしのひよる、, により、御使番となる、元龜三年十二月、三方原合戰のとき、すてに御馬を, 得させよといふ、敵も心ある者にて、士き互の事なりとて、其まゝ返し與, れ、御勘氣をかうぬり、九年ゆるさる、十年、甲斐國新府に御出陣有て、北條, 退くに及て、重勝指物を落としかは、ぬたゝひ敵陣にかへりて、歩の指物, 田中城を攻たまふのとき、前夜鷄鳴のこは法より、重勝をよひ内藤甚五左, 重勝等三十餘人、城中より〓て出、投の敵を追退く、天正六年三月、駿河國, 家の兵と御合戰のとき、したかひ〓しまりり、あな日志戰に、味方の兵引, 重勝、母は某氏、若年より、東照宮に仕へむてまつり、所々の戰に、軍忠あ多, 女子神谷清右衞門某か妻、, 慶長十八年五月是月, 三方原合, 重勝ノ事, 蹟, 重勝ノ〓, 田中城攻, ニ抜駈ス, 戰ノ時ノ, 膽, 働, 鎗奉行ト, ナル, 慶長十八年五月是月, 二六九

頭注

  • 三方原合
  • 重勝ノ事
  • 重勝ノ〓
  • 田中城攻
  • ニ抜駈ス
  • 戰ノ時ノ
  • 鎗奉行ト
  • ナル

  • 慶長十八年五月是月

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  • 二六九

注記 (29)

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