『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.485

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所に曝されたり、其中一人は赦されて歸りしも、また自ら俵を纏ひ、刑人の, 群に入れり、刑吏は婦人等の動かし難きを見て、遂に之を入牢せしめたり、, 宣教師の出發したる五日目に、相模殿は、各所に掲示して、基督教を捨てざ, せり、基督教徒の中には、信仰を捨てゝ、名簿より其名を除きたる者もあれ, ぜり、彼等は悉く其柱の準備に著手せり、その間、相模殿は、京都の耶蘇會員, より、翌日の薄暮に至るまで、市外の河岸に於て、兵士の爲に警護せられ、其, る者は、皆焚死の刑に處するを以て、自らをして、其柱を準備することを命, 仰を捨てしめんとせり、彼は其部下に命じて、基督教徒を壓迫し、或は〓辱, し、止むを得ずんば、之を追放せしめたるも、之を殺すことは敢て爲ざりき、, の住宅、及び食堂を破壤し、又伏見のサン・フランシスコ派の住居をも破壞, ぜざりしが爲め、其中九人は、裸躰にして俵に包み、市街を引廻され、其夕刻, 基督教徒の内に、ジュリヤ内藤外數名の婦人あり、彼等は、改宗の勸誘に應, ど、多くは追放を甘受せり、其中に太閤樣の室政所樣の家人マテオ兵左衞, 京都の所司代板倉殿は、相模殿に命じ、會堂を破壞し、基督教徒をして、其信, 門及び其妻マリヤありき、, 家臣ノ信, 政宗セザ, ルモノヲ, 者, 河岸ニ曝、, 高臺院ノ, 大久保忠, 隣ノ禁壓, 慶長十九年正月十七日, 四八五

頭注

  • 家臣ノ信
  • 政宗セザ
  • ルモノヲ
  • 河岸ニ曝、
  • 高臺院ノ
  • 大久保忠
  • 隣ノ禁壓

  • 慶長十九年正月十七日

ノンブル

  • 四八五

注記 (25)

  • 394,609,69,2198所に曝されたり、其中一人は赦されて歸りしも、また自ら俵を纏ひ、刑人の
  • 280,606,67,2223群に入れり、刑吏は婦人等の動かし難きを見て、遂に之を入牢せしめたり、
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