『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.492

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四郎衞門は、會堂を破壞し、フクロ村, を受け、口ノ津に追放せられたり、上津浦、并に大矢野, も、亦迫害せられしも、信仰を捨てざりき、, 志岐、上津浦等の諸島, 二名之を守り、又宣教師が長崎より來れり、諫早の領主は、基督教を捨つる, の基督教徒アダム荒川, 左兵衞は、有馬を領する事を希望し、〓りに之を求めしが、恰もドン・ミゲル, して、破壤せしが、材木は悉く保存せり、宣教師の住宅は、之を毀たず、説教師, は、二十六代の間、有馬を領せしが、此時に及び、神の怒に觸れて、其領を失ふ, を日向に移すの命下れり、因つて、八月に同地に赴けり、ドン・ミゲルの祖先, ことの命令を發せしが、これ全く形式に過ぎず、故に基督教徒が、密かに信, 城は、肥前の唐津にあり、パードレ・ガルシヤ・ガルセス、志岐を去りし後、代官, 諫早の領主は、領内の會堂五ケ所を保存せんと計りしも、意の如くならず, 仰を維持する事を妨げざりき、, の基督教徒, に至りぬ、, は、元の長崎奉行志摩殿の領なり、領主の居, を迫害し、六月五日、遂に首を刎ねたり、ソーテルと云ふ基督教徒も、亦迫害, ○肥後葦北郡, ○天草ノ, 水俣村ノ中, ○天草ノ, 中ニアリ, 中ニアリ, ケル禁壓, 天草ニ於, 諫早, 慶長十九年正月十七日, 四九二

割注

  • ○肥後葦北郡
  • ○天草ノ
  • 水俣村ノ中
  • 中ニアリ

頭注

  • ケル禁壓
  • 天草ニ於
  • 諫早

  • 慶長十九年正月十七日

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  • 四九二

注記 (29)

  • 1090,626,64,1053四郎衞門は、會堂を破壞し、フクロ村
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