『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.578

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合せ、村山、最上、由利、平苅、, をなかして、御代万歳と祝したそま〓な、よりて御手たから、正宗の御脇, 千二百人、す〓て五隊、人數二万六千六百五十人、みな義光の指揮にした, 十人、四番は男義康六千五百人、五番は堀秀治六千人、村上千八百人、溝口, 指を恩賜をらよ、この年、上杉か舊領出羽國庄内の地を加へたまふ、これ, かひ、不虞に備ふへしとの御旨なり、このことすてに令をらるゝといへ, 利も、ひとへに汝か忠功によれりと御〓ありけれは、義光肝に銘し、感〓, 景勝か罪に伏せしことを賀したてまつな乃ところ、御膝許にめされ、手, 郷、仁賀保等か所領をう〓さなゝのとき、また由利の地をたまひ、本領を, これを攻落し、川村、志田二人をも降らしむ、七年五月、秋田、戸澤、赤尾津、六, により、庄内の酒田城をうけとらむとせしに、上杉か城代川村兵藏某、志, 雄勝、田川、櫛引, 田修理某等、命を拒みしかは、弟甲斐義久、をよひ男大藏氏滿を遣はして, をとらをたまひ、去年景勝との合戰比類なしといふへし、このたひの勝, 十人、赤尾津二百五人、仁賀保百八十五人、瀧澤百十人、打越六十人、岩屋四, とも、なを人數を定められしなり、このとし、上京して、關原の凱陣、をよひ, 遊佐, 慶長十九年正月十八日, 今は平鹿, 今飽海に, といふ、, 今は田川, あらたむ、, 〓屬す, 封地ヲ加, シテ戰捷, ヲ賀ス, 家康ノ賞, 義光上京, 増セラル, 讚, 五七八

割注

  • 今は平鹿
  • 今飽海に
  • といふ、
  • 今は田川
  • あらたむ、
  • 〓屬す

頭注

  • 封地ヲ加
  • シテ戰捷
  • ヲ賀ス
  • 家康ノ賞
  • 義光上京
  • 増セラル

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  • 五七八

注記 (32)

  • 190,709,58,708合せ、村山、最上、由利、平苅、
  • 891,698,57,2151をなかして、御代万歳と祝したそま〓な、よりて御手たから、正宗の御脇
  • 1588,694,58,2145千二百人、す〓て五隊、人數二万六千六百五十人、みな義光の指揮にした
  • 1703,694,59,2140十人、四番は男義康六千五百人、五番は堀秀治六千人、村上千八百人、溝口
  • 775,694,57,2147指を恩賜をらよ、この年、上杉か舊領出羽國庄内の地を加へたまふ、これ
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