『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.996

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りし者、又斬首せられし者、其數二十二人に及べり、尚ほ免れて生存せし者, 人、小濱の山中なる巖窟内に遁れ隱れたる者を捕へ、十一月二十八日、之を, 首の刑に處し、有家に奉行を留め、口津に行きて、權左衞門に會せり、, に來らしめ、之を鞭撻し、或は胴に大石を著け、又手足の指を切斷して、木に, 倒まに吊し、殘酷なる拷問をなせり、これが爲め、苦痛に堪へずして、死に至, 石のサルバドル平尾八郎殿、二十二歳の兄弟二人は、終に死に抵れり、, 七十人は、自ら進んで審問を受けたり、左兵衞と駿河殿とは船に退き、權左, 地方には、全く基督教徒無き事を宣言せり、, 拷問に處せり、その中小濱のジヨアン平尾ハヱモン殿、三十五歳、及び千々, 長崎の宣教師等は、力の及ぶ限り、有馬の基督教徒を助けたり、耶蘇會のパ, 平戸の兵士は、千々石、小濱に向ひ、有馬殿の家臣にして、基督教徒たる者四, 衞門は、金曜日より日曜日に至る三日間、基督教徒を審問し、五人づゝ墓場, マツシロは、アドリヤン木戸ハン衞門を呵責せし後に、十一月二十三日、斬, もありき、, 左兵衞と權左衞門とは、有馬より口津に移れり、十一月二十二日、基督教徒, 長崎在留, ノ宣教師, ノ教徒援, 慶長十九年九月二十四日, 九九六

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  • 長崎在留
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  • 慶長十九年九月二十四日

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  • 九九六

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  • 851,587,65,2216りし者、又斬首せられし者、其數二十二人に及べり、尚ほ免れて生存せし者
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