『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.487

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

之れを見て、其熱心なるに感じ合へり、, を以て教會の敷地を買ひ受けしが、千六百十二年、宣教師の追放せられし, に當り、大に驚き、再び基督教徒に復歸する者尠からざりき、上京の奉行は、, 所司代の命に背き、基督教徒を虐待し、男女二十人ばかりを捕へ、男子は全, く裸躰にして市内を引廻したる後、終日公衆の面前に曝せり、竊に京都に, 潛伏せし三人の説教師は、これを見て一行を慰めたり、教徒は、其後二日間, ジュリヤ内藤外十四人の婦女は、長崎に送られ、同地慈善院に寄寓せり、, 市内を引廻され、又橋の〓干に縛せられたる後、牢舍に繋がれたり、婦女子, 京都にては、基督教徒の中に、親戚の盡力によりて、自ら知らざる間に、〓に, 名簿より除かれたる者もありしが、〓然佛教の一派を選擇せしめらるゝ, 伏見に於ては、基督教徒中、最も富有なるマルコ孫兵衞は、十二年前に、其名, は、遊女屋に送られしが、自ら剃髮して、身を汚さゞる事を得たり, 命により、一同は皆農業に從事せり、, 三囘一時間づゝの祈祷をなし、喜んで其苦痛に耐へたり、警固の武士も、皆, 五月二十四日、順風に乘じて敦賀港を發し、六月十七日、配所に達し、領主の, リ津輕ニ, 教徒農業, ニ從事ス, 長崎ノ慈, 著ス, 海路ニヨ, 敦賀ヨリ, 善院, 伏見二於, ケル禁壓, 慶長十九年正月十七日, 四八七

頭注

  • リ津輕ニ
  • 教徒農業
  • ニ從事ス
  • 長崎ノ慈
  • 著ス
  • 海路ニヨ
  • 敦賀ヨリ
  • 善院
  • 伏見二於
  • ケル禁壓

  • 慶長十九年正月十七日

ノンブル

  • 四八七

注記 (27)

  • 1802,637,57,1147之れを見て、其熱心なるに感じ合へり、
  • 284,634,62,2207を以て教會の敷地を買ひ受けしが、千六百十二年、宣教師の追放せられし
  • 1099,637,66,2222に當り、大に驚き、再び基督教徒に復歸する者尠からざりき、上京の奉行は、
  • 979,637,66,2209所司代の命に背き、基督教徒を虐待し、男女二十人ばかりを捕へ、男子は全
  • 863,636,67,2210く裸躰にして市内を引廻したる後、終日公衆の面前に曝せり、竊に京都に
  • 749,633,65,2212潛伏せし三人の説教師は、これを見て一行を慰めたり、教徒は、其後二日間
  • 1447,646,63,2141ジュリヤ内藤外十四人の婦女は、長崎に送られ、同地慈善院に寄寓せり、
  • 630,638,66,2211市内を引廻され、又橋の〓干に縛せられたる後、牢舍に繋がれたり、婦女子
  • 1330,634,66,2208京都にては、基督教徒の中に、親戚の盡力によりて、自ら知らざる間に、〓に
  • 1215,634,64,2195名簿より除かれたる者もありしが、〓然佛教の一派を選擇せしめらるゝ
  • 400,637,63,2206伏見に於ては、基督教徒中、最も富有なるマルコ孫兵衞は、十二年前に、其名
  • 520,639,60,1929は、遊女屋に送られしが、自ら剃髮して、身を汚さゞる事を得たり
  • 1568,641,59,1066命により、一同は皆農業に從事せり、
  • 1910,637,67,2210三囘一時間づゝの祈祷をなし、喜んで其苦痛に耐へたり、警固の武士も、皆
  • 1676,639,67,2199五月二十四日、順風に乘じて敦賀港を發し、六月十七日、配所に達し、領主の
  • 1663,271,40,155リ津輕ニ
  • 1576,270,42,169教徒農業
  • 1534,282,39,149ニ從事ス
  • 1473,269,43,172長崎ノ慈
  • 1623,270,38,75著ス
  • 1707,269,40,163海路ニヨ
  • 1753,270,39,167敦賀ヨリ
  • 1432,269,39,84善院
  • 441,267,42,172伏見二於
  • 397,272,43,166ケル禁壓
  • 189,701,44,427慶長十九年正月十七日
  • 185,2434,42,120四八七

類似アイテム