『大日本史料』 12編 15 慶長十九年十月~同年十一月 p.454

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依て、凱陣し給ふ時、竹若忠太夫重利に無銘の脇指一腰、淺黄地桐御紋付帷, に堪ふ、諸國に珍賞す、, 衞門家に傳はりし二品及び記録は、元祿四年未正月の火災に悉く燒失せ, 前名護屋へ往給ひし時、當所にて、竹若家より天下泰平の組物を捧けしに, 子一ツ、弟惣左衞門重常に扇子一本、桐御紋付夏羽織一ツを賜はりぬ、惣左, 唐織帶右ニ同しうき紋有、唐織の紋あり、唐織の絹帶共につよくして久, 生絹竹若家より織出す、其製尤精し、, 政公御入國の後、忠太夫に八人扶持、惣左衞門に七人扶持を賜ふ、今は, り、忠太夫へ下されし二品并御書一通は、今に伊左衞門か家に傳來せり、長, の末子と有は是也、西面は筑紫氏の家臣なるへし、秀吉公朝鮮征伐の比、肥, 〔石城志〕, 續風土記に、筑紫氏, 年減して四人扶持を下し給ふ、, 博多記古説拾遺云、唐織絹は承天寺の僧渡唐の時、彌三と云者, 從ひ來て、廣東織緞子を傳受して歸國す、今の博多織是也、緞, 子織は雪の下とて白緞子也、彌三織今に都鄙共に是を賞〓す、竹若家には, 組, 唐織絹, ○上略、筑紫鬼松、竹若家養, 拾遺には彌三, 左衞門とあり, 子ヲ約スル状ヲ載セタリ, 七土産考上, ○中, ○明, ○中, 和二, 衣服類, 略, 略, 彌三織, 慶長十九年十月十七日, 四五四

割注

  • ○上略、筑紫鬼松、竹若家養
  • 拾遺には彌三
  • 左衞門とあり
  • 子ヲ約スル状ヲ載セタリ
  • 七土産考上
  • ○中
  • ○明
  • 和二
  • 衣服類

頭注

  • 彌三織

  • 慶長十九年十月十七日

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  • 四五四

注記 (33)

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