『大日本史料』 12編 15 慶長十九年十月~同年十一月 p.870

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稱し、, て醫門にいり、熊谷壽仙か家業を繼といへとも、なを本氏をあらためすと, 驗あり、文祿四年、台徳院殿腫物を腦せたまふのとき、御藥を献し、御平愈, 藤原氏利仁流曾谷寛永系圖にいはく、, のち曾谷にあらたむ、伯安宗祐はしめ, いふ、今按するに、宗祐かとき、熊谷を稱をしは、舊譜にのせ〓あきらかなり、, 月五日、法印に昇り、のち豐臣太閤腫物を患ぬるのとき、これを療して功, 其男伯安慶傳かときにいたりず、本氏曾谷に復せしなれへし、よりて今家, 説にしたかひ、これをあらしむ、, 壽仙父に繼て醫を業とし、天正十一年二月十日、法眼に敍し、十四年十一, 平氏にして熊谷を稱す、今の呈譜に、先祖は藤原氏、利仁の流にして、富樫を, めりしにより、これを賞せられて、黄金五枚を賜ふ、慶長年中、伏見にをい, 〔寛政重修諸家譜〕, 壽仙, 幕府醫員曾谷壽仙歿ス、, 慶祐, 慶長十九年十一月八日, 宗祐, の孫を富樫介家國といヘり、, 尊卑分脈を按するに、利仁七代, 院、法眼、法印, 洞庵、慶祐、慶法, 伯安、法, 橋、法眼、, 七百七, ムル條二, 十二, 收メタリ、, 曾谷氏ノ, 秀吉秀忠, 系, 壽仙ノ事, 蹟, ノ腫物ヲ, 治ス, 慶長十九年十一月八日, 八七〇

割注

  • の孫を富樫介家國といヘり、
  • 尊卑分脈を按するに、利仁七代
  • 院、法眼、法印
  • 洞庵、慶祐、慶法
  • 伯安、法
  • 橋、法眼、
  • 七百七
  • ムル條二
  • 十二
  • 收メタリ、

頭注

  • 曾谷氏ノ
  • 秀吉秀忠
  • 壽仙ノ事
  • ノ腫物ヲ
  • 治ス

  • 慶長十九年十一月八日

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  • 八七〇

注記 (37)

  • 1305,648,54,131稱し、
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