『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.135

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れをせむ、城はたして陷る、, 果申候、先少の所ニても能とて諸人競申候、以上、, 也、則二組被遣し所ニ、和泉備後立腹ある被呼返し也、, 被仰付候へと進み行、矢狹間に手をかけ、上へ登て、内の樣子を見けるに、内, 人數詰懸、誰か敵陣の樣子見に參候へと、右近殿被申付、窪川の侍に、下村彌, 左衞門と云者、十九歳に成たるか、進み出、私見に參可申間、今日の一番乘に, に人無かりける故、歸て其樣子申候へは、右近殿より、乘取可申間、後陣詰掛, 大坂陣穢多か崎を、阿波より乘取らさる前に、此方樣御先手山内右近殿, 忠義公御備右の方松平阿波守、左は鍋島信, 濃守也、御本陣の後を、阿波守士五騎七騎潜に西へ通申ニ付、御不審ニ被思, 侍とも、何も〳〵乘移〳〵申候故、阿波守手乘り申とて、侍一兩人水を飮相, 召所、翌朝未明ニ、阿波守ゟ以使者、穢多か崎乘取可申候間、御加勢候へしと, 松平宮内殿、淺野但馬守殿乘取被成候、番船餘多御座候を二三艘乘取申候、, しく、且敗軍の機あり、攻はかならすこれを拔へしと言上す、蜂須賀至鎭こ, 〔前田家大坂冬陣日記〕十一月十九日、大坂表穢多か城を蜂須賀阿波守殿、, 〔年譜〕, ○南路志五十四所收, 〓忠義公御代, 窪, 川, 山内氏ノ, 偵察ス, 兵敵陣ヲ, 慶長十九年十一月十九日, 一三五

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  • ○南路志五十四所收
  • 〓忠義公御代

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  • 山内氏ノ
  • 偵察ス
  • 兵敵陣ヲ

  • 慶長十九年十一月十九日

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  • 一三五

注記 (25)

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