『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.826

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○以下天滿陣巡見ノコト一係ル、, はいかにと上意ある、池田攝津罷出、彼は姫路に指置候よしを申す、, 十三日、神君諸陣御巡見の時、興國公の御陣所にて、土肥助次郎, 明、山崎左馬助、九鬼長門守忠政君、彼是數十頭にて關しりと云、, 同き, 〔池田家履歴略記〕四向大阪, 慶長十九年冬、大坂陣之節、姫路御城代, 、神君、助次郎か事御尋有て、其後同月廿一日、御書を周防に賜りしっは、同, 〔吉備温故, 土肥周防, (者〕, 下旬、周防を姫路を立て京に登り、兩御所に拜〓すと云、又一説に、神君、姫路, ト、本月九日, ニ其條アリ、, 名也, つ幼, ○中, の城代は誰を置候〓と御尋有、興國公、土肥周防を申付る、さらは淡路由戸, 三十, 二月, の城代は誰そや、土肥權右衞門を指置候と答へ給ひ乃れは、神君、成程土如, ○淀河壅塞, 思召との御意にて、時服, 二つを賜ひしといふ、, 權右衞門、尤也〳〵と再三仰られけると云、關白秀次聚樂亭にて、申樂を興, 行ある、陪臣并商人迄も、白洲に伺公す、安宅の能の〓中、見物の中より、いや, ○十, 〓はいかなる者そ、速ニ其名を申せと有ける、時に見物の中より一人居長, 略, 殺を嗜給ふ折なれは、諸人おそれおのゝくもむへなり、かくて其能終り, 〓と譽る、其邊の諸人興をさたし、皆頭を地に付て伏し居たり、其頃關白, の人々、扨こそ罪かうむらん〓必定よと思ひける所に、初の人、又正面に出, 高出て、只今譽奉るは、羽柴三左衞門内土肥權右衞門なりと名乘たり、見物, 後、長袴著たる人舞臺の正面に出て、ヌ今見物の内ゟ、高聲にて御能譽め奉, 工竣ルコ, 羽柴三左衞門家來土肥權右衞門と呼ふ、權右衞門進み出けれは、今日大勢, 群集しける中にて、汝壹人おめす臆せす御能を譽め申處、上聞に達し、感し, 下旬、周防を姫路を立て京に登り、兩御所に拜〓すと云、又一説に、神君、姫路, 二, 防, 説, 神君、助次郎か事御尋有て、其後同月廿一日、御書を周防に賜りしっは、同, 天滿陣巡, 豐臣秀次, ト土肥權, 見, 右衞門, 土肥周防, 慶長十九年十二月十二日, 八二六

割注

  • ト、本月九日
  • ニ其條アリ、
  • 名也
  • つ幼
  • ○中
  • の城代は誰を置候〓と御尋有、興國公、土肥周防を申付る、さらは淡路由戸
  • 三十
  • 二月
  • の城代は誰そや、土肥權右衞門を指置候と答へ給ひ乃れは、神君、成程土如
  • ○淀河壅塞
  • 思召との御意にて、時服
  • 二つを賜ひしといふ、
  • 權右衞門、尤也〳〵と再三仰られけると云、關白秀次聚樂亭にて、申樂を興
  • 行ある、陪臣并商人迄も、白洲に伺公す、安宅の能の〓中、見物の中より、いや
  • ○十
  • 〓はいかなる者そ、速ニ其名を申せと有ける、時に見物の中より一人居長
  • 殺を嗜給ふ折なれは、諸人おそれおのゝくもむへなり、かくて其能終り
  • 〓と譽る、其邊の諸人興をさたし、皆頭を地に付て伏し居たり、其頃關白
  • の人々、扨こそ罪かうむらん〓必定よと思ひける所に、初の人、又正面に出
  • 高出て、只今譽奉るは、羽柴三左衞門内土肥權右衞門なりと名乘たり、見物
  • 後、長袴著たる人舞臺の正面に出て、ヌ今見物の内ゟ、高聲にて御能譽め奉
  • 工竣ルコ
  • 羽柴三左衞門家來土肥權右衞門と呼ふ、權右衞門進み出けれは、今日大勢
  • 群集しける中にて、汝壹人おめす臆せす御能を譽め申處、上聞に達し、感し
  • 下旬、周防を姫路を立て京に登り、兩御所に拜〓すと云、又一説に、神君、姫路
  • 神君、助次郎か事御尋有て、其後同月廿一日、御書を周防に賜りしっは、同

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  • 天滿陣巡
  • 豐臣秀次
  • ト土肥權
  • 右衞門
  • 土肥周防

  • 慶長十九年十二月十二日

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  • 八二六

注記 (50)

  • 1583,788,54,1006○以下天滿陣巡見ノコト一係ル、
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