『大日本史料』 12編 27 元和三年四月~同年八月 p.372

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中成羽と、皆所替有て、追々その地に移る、烈公は御幼稚にて、江戸におわし, さる、扨、伯州米子城は池田出羽, らす、依て因幡伯言兩國に轉せらるゝと也、かくて今迄因州所々の領主、池, 諸士に宛行ふ〓き地足らされは、物成三ツ七分を以て、領内の高を極め、知, 政務、長臣衆議を以て相定め、諸事を沙汰しけるり、猶私偏なき爲として、關, 東ゟ御目付兩人, 田備中守長幸殿備中松山、龜井豐前守政矩石州津和野、山崎甲斐守家治備, 行を配分す、小祿の士は城下に住居しかたく、皆村里に土著して引籠りけ, 云、殊に今迄小侯乃領地なれは、萬事不自由にして、租税も案外にすくなく、, けれは、家臣城を請取、八月十四日、家中の上下播州よりこゝに來る、國中の, 土倉市正, をわたしたる由將軍家に申けれは、則土肥父子を二條に召れ拜〓をゆる, に殘り、城を本多美濃守に渡し、其子同姓助次郎と共に都に上り、恙なく城, 政事一として闕滯ならりき、されとも播磨は繋華富饒の地、因伯は邊鄙と, 兩人はらさしる、中にも、豐前は智勇兼備乃士にく、日々の, を下され、百日の間逗留有て歸らる、土肥周防は姫路, 守因州倉吉城は伊木長門鹿野城き日置豐前守守りける、國務は豐前と, 此出羽は由之と云、翌年播州正條川にて平, 兵衞に殺さる、故に其子出羽由成繼て、此城, ○細註, 姓名, 不知, 略ス, を守, る、, 元和三年六月是月, 三七二

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  • 此出羽は由之と云、翌年播州正條川にて平
  • 兵衞に殺さる、故に其子出羽由成繼て、此城
  • ○細註
  • 姓名
  • 不知
  • 略ス
  • を守
  • る、

  • 元和三年六月是月

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  • 三七二

注記 (27)

  • 1586,674,60,2187中成羽と、皆所替有て、追々その地に移る、烈公は御幼稚にて、江戸におわし
  • 892,673,57,908さる、扨、伯州米子城は池田出羽
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