『大日本史料』 11編 22 天正13年11月21日 p.235

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く卯の花威の鎧著て、黒のほり之て金の大半月の指物して一陣に進み、伊逹勢の内茂庭, と内談を極む、政宗聞て岩角へ出張し、先方へ勢を分らる、高倉の城には畠山近江守楯, 々に勢を分て、伊達藤五郎成實は澁川の城に在りけるか、政宗より急を告られしかは、, 守・瀬上中務少輔・櫻田右兵衞尉を入置る、玉の井城には白石若狹守を大將として、手, 〳〵と射伏せられて、面を合する者そなき、高倉勢散々に射立られためろふ所を、三河, 時を不移馳來る、天正十三年十一月十六日には、會津・岩城の人々前田澤兵部少輔案内, 之精兵を勝て、六百餘人肩先を揃へ六百の矢を一度に放し、將棊たをしをする如くはら, る事二百餘こ及也、是より直ニ高倉・本宮の城を攻落し、小濱へ向て政宗と雌雄を可決, 信・富塚近江守・桑折攝津守を加勢として指遣ス、本宮の城には中嶋伊勢守・濱田伊豆, 籠て、義繼討れし日より政宗に降りたる事なれは、是と牒合軍せんとて、伊達肥前守重, 守拔連て切てかゝる、無二無三に追崩す中之も、久保田十郎と言大剛の者、己之時と輝, の加勢竹貫三河守は、其名を得たる強弓の達者なるか、己か無れとも不通樣之強弓, 者として、前田澤の南成る原へ打出陣を取、明れは十七日、高倉の城に向て合戰、岩城, 大軍一同に安積郡に討出、同年十一月十四日、伊達方なる中村城を責落し、敵の首を切, 政宗高倉城, ニ加勢ヲ遣, ス, 二三五

頭注

  • 政宗高倉城
  • ニ加勢ヲ遣

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  • 二三五

注記 (18)

  • 320,613,70,2240く卯の花威の鎧著て、黒のほり之て金の大半月の指物して一陣に進み、伊逹勢の内茂庭
  • 1710,606,67,2248と内談を極む、政宗聞て岩角へ出張し、先方へ勢を分らる、高倉の城には畠山近江守楯
  • 1205,618,67,2197々に勢を分て、伊達藤五郎成實は澁川の城に在りけるか、政宗より急を告られしかは、
  • 1331,607,69,2243守・瀬上中務少輔・櫻田右兵衞尉を入置る、玉の井城には白石若狹守を大將として、手
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