『大日本史料』 10編 23 天正2年6月~7月 p.187

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歸りけり、, は、龍公に援をこふ、信生公の御はからひにて、納富能登守か一與をつかわ, 宮野にくはゝり、武雄城を攻る、隣端の侍も公の聞えなれは出馬して寄手にく, はゝる間、惟明沒落し、伊萬里の圓通寺え落行けり、かの寺僧は伯父なれは、, くミ、鶴田因幡守・河原豐前守後詰しけれは、事不成して退きぬ、時に佐賀勢, 明、さては日比のくはたてあらはれぬと思ひけれは、則兵をつかはし、後藤新, し、父貴明をすくはる、七月三日、惟明、宮野に寄けれ共、龍公の御下知をふ, 引具して武雄を出、宮野の城え移られけり、, 九郎を討て武雄の城を守り、龍公に使をたて、加勢をこふ、貴明も無勢なれ, 平戸に人を遣はし、加勢をこふ處に、伊萬里兵部太夫心を貴明に通して、惟明, り雜物どもとり認め、翌日宮野え趣くへしと、貴明下知してとゝめける也、惟, て其夜にとりうつりぬ、信右衞門先立て貴明の供奉り、其子新九郎は武雄に殘, をおひ出すゆへ、早岐へそ落行ける、こゝにて平戸の兵來り、守護して平戸に, ヽ貴明、和ヲ得し事ひとへに龍公の御加勢故也とふかく是を謝し申、公を武雄, 事急成により, 此子を後藤又兵衞基次と云て、初は黒田長政につかへ、高麗まて名を上けけるか、黒, 宮野は隱居所とせんため、, 田家を出て浪人となり、慶元の大坂兵亂に秀頼公につかへ、五月六日の鑓に討死しけ, かねて修理しけるか, 也, 後藤基次ハ, 惟明ノ子ト, ノ説, 天正二年七月十日, 一八七

割注

  • 此子を後藤又兵衞基次と云て、初は黒田長政につかへ、高麗まて名を上けけるか、黒
  • 宮野は隱居所とせんため、
  • 田家を出て浪人となり、慶元の大坂兵亂に秀頼公につかへ、五月六日の鑓に討死しけ
  • かねて修理しけるか

頭注

  • 後藤基次ハ
  • 惟明ノ子ト
  • ノ説

  • 天正二年七月十日

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  • 一八七

注記 (25)

  • 505,830,55,246歸りけり、
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