『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.777

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り、山上より貝鐘太皷を打鳴らし、撰の聲をそ揚けたりけり、其時先陣の, ひと、一心に念する支深けれは、不思議や北の方より、草倉山の東上まて, 勢は籏差物數多くしと霧に包まれ、軍勢の限りも見へす、皆河城中何程, 付たる籏押立、銀の三ツ團子の馬印は松田尾張守、手塚亦五郎、大石近江, 山城守廣照は、自身に身を清め、石裂山に向ひ〓、何卒當城の難を救ひ給, 、高山の故に霧深くして、城内は申に及はす、出張の人數のあらましも, 押つゝみ、更と樣子は見へさりけり、小田原勢は大平山に陣を取り、皆河, 倉山あり、殊と朝霧深くして、其樣子は更に見へさりけりれ、殊と草倉の軍, の城を眼下に見下し、足下に踏落さんと思へとも、又城地を〓たてゝ草, 守、都合其勢二千五百餘騎なり、三番手こ紺地に白く三ツ木瓜の紋付た, 大將には、田米九郎次、伊勢大和守押出す、籏の手は赤地に稻穗の丸の紋, こて相守、もし草倉の戰難義ならは、惣勢を繰出さんと待あけたり、此時, 更こ見へす、樣子分らをれとも、先一責せめと心みよと有て、評議相定ま, 奧あるか計り知られす、皆々怪しみける、時に北條左京大夫氏直申ける, 寄らは討んと待かけたり、扱又皆河の本城内には、山城守廣照七千餘騎, 天正十二年七月十五日, 北條氏ノ, 陣備, 大平山ニ, 氏直ノ兵, 松田憲秀, 陣ス, 七七七

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  • 北條氏ノ
  • 陣備
  • 大平山ニ
  • 氏直ノ兵
  • 松田憲秀
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  • 七七七

注記 (23)

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