『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.573

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を避之、山形に來り加はゝるへしと、再三申をくなといへとも、多年城を, を率ゐて城を襲ふ、江口等、よく防きたゝかふといへとも、うしろなる高, して、江口もつゐに自殺しけれは、城たゐに陷な、山形よりの援兵、中途に, 守り、敵の來るを聞、遁れさらむこと、勇士の本意にあらすとて肯せす、義, に逢、會津の軍勢、勝に乘く追こと急なりしかは、矢柄、飯田等これに會し, 口五兵衞か守れる畑屋城は、要害よからされは、敵のかこまさな内に、城, る、この戰に、味方三百五十餘人討死し、會津勢百餘人をうちとる、十五日、, で力戰し、飯田き終に討死すといへとも、矢柄き殘兵を集めて、山形に歸, にはせて救はむとて、馬をすゝむること二十餘町、はたして畑屋の敗兵, 山より、火炮を飛し、矢をはれちそこれを攻しかは、城兵ふせくに術なく, に、百餘騎をそへて、援兵たらしむ、その勢いまたいたらさなに、兼續多勢, してこれをきゝ、すてに引かへさむとせしに、矢柄、飯田等議していふ、城, 陷るといへとも、殘兵のかれさらんとせは、敵これを追討へし、すみやか, 光もせむつたなく、矢柄相模某、飯田播磨某、富並忠兵衞某、日野伊豫某等, 某、上泉主水某、杉原常陸親憲を部將として、山形城に進發す、このとき江, 慶長十九年正月十八日, 援軍マタ, 畑屋城陷, 敗ル, 五七三

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  • 援軍マタ
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  • 1696,695,65,2139を避之、山形に來り加はゝるへしと、再三申をくなといへとも、多年城を
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