『大日本史料』 10編 10 元亀3年8月~同年12月 p.191

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へたて鉄炮をはなち、夜に入て、康安闇にまきれて、是をうかゝひ見れは、敵是をさとつ, はかりの石あり、康安身を石のかけにかくして、是をまつ、しはらくありて敵鉄炮をはな, せめにせんとて、材木をきりなかす、城中よりこれをさとつて、日暮にをよひて、川を, にありて、敵のすゝみ來るをうかゝひて、鉄炮をはなつ事、すへて五度、其後引しりぞく、, て、百騎はかり火繩を鉄炮にはさみて、相ならんて、これをはなたんとす、かたはらに一丈, 元龜三年、遠江國二股城を守るのとき、, つによりて、味方の兵おどろきて、城中にひきしりそくといへとも、康安ひとり石のかげ, 武田信玄これをせむること急なり、正俊かなはず、遂に城をしりぞく、, 兵衞とあひともに、士卒をはけまし、かたく城をまもる、敵兵城下の川をせきとめて、水, 貞近もつところの弓ひきおるによりて、御持弓ならひに鹿毛の御馬をたまふ、, 武田信玄二俣に出張し、合戦のとき、, 〔寛政重修諸家譜]三二石川正俊, 〔寛永諸家系圖傳〕七十依田, 〔寛永諸家系圖傳〕ユ, 石川正俊, 依田, 本多貞近, 半三○中, 郎、略, 四郎左○中, 衞門、略, 九十, 十一, ○中, 百一, 本多貞近, 石川正俊一, 俣城ヲ守ル, 九一, 元龜三年十月三日

割注

  • 半三○中
  • 郎、略
  • 四郎左○中
  • 衞門、略
  • 九十
  • 十一
  • ○中
  • 百一

頭注

  • 本多貞近
  • 石川正俊一
  • 俣城ヲ守ル

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  • 九一
  • 元龜三年十月三日

注記 (30)

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