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功竣る、秀長大和國郡山を居城とし、其臣桑山修理亮重晴, を以て本國の城代として、同十四年より茲に在城して若山の城と稱す、此地吹上濱の東, に峙を以て吹上峰と號し、又岡山の北首にあるを以て岡山の名あり、然るに岡山の南和, 歌浦の諸山と其勢相接きて、和歌の名最四方に高きより取て若山と名つくといふ、, 鍬初あり、藤堂和泉守・羽田長門守・一庵法印を普請奉行として、本丸二丸其年の内土, 美濃守秀長に賜ふ、此地の體勢城地に宣きを觀察して親く自繩張を命し、三月二十一日, 此時東に岡村、北に宇治村・鷺, 近頃まても落崩れたる石の多く有しか、何となく人の取去て今は纔に殘れり、少し東の方に下りて石垣の砂中に埋, あつて、和歌山の名も亦天正に始まるに非るに似たり、今の城地を距こと三町許南岡山の内に石を疊たる跡あり、, れたる處もあり、此地砂山にて生たる松なとも皆根の高く露れたるを視れは、歳月を重ね次第に砂土の崩れて地形, や、これ又何れとも定めかたし、以上の諸記皆一時の雜録、信をとるにたらされとも〓一家の記のみにあらす、又, 町許南にあり、今の地に城を築しは天正十三年を始とす、又和歌山の名も天正に城を築し後に起る、上文諸記和歌, 川へ紀川を堰入といふこと見えたり、是昔の城跡に因て砦を構へしや、將今の石の殘たる跡は此時の砦の跡なる, 入道して法印宗榮といふ、若名小藤, 太、尾州愛知郡地士、三萬石を領す、, 若の字を穉弱の義に用ること、賈誼新書〓奴篇に猶若子之ユ慈母とあり、古事記萬葉集にも亦穉弱の義に用ふ、, 山城といふものは皆後世の名を取て追て書せしなり、古は此地岡山と, 武徳編年集成曰、天正十三年紀州の中央岡山に城を築き秀長の居城とす、後年和歌山の城と號すとあり、これを, 年織田氏高野攻の事を記して、和歌山口より七千餘にて森口長郷推登る、此等の記に據は、和歌山城以前よりこれ, 其跡の證とすへきこと有ときは此地に城を築しこと疑なかるへし、然れとも是は岡山の内にて今の城地を距こと三, 傳へたり、これ上文雜記にいふ所の和歌山城の跡なるにや、天正五年雜賀合戰記には、北は吹上峰に砦を取り麓の, 山城には舍弟畠山秋高家兄畠山河内守是を守る、又後太平記畠山高政和歌山諸所の城を築く、又室町殿日記元龜元, も昔とは幾程も易りたらむ、されとも其落崩れし状古疊の跡ならむと思はるゝ形は猶殘り、土人の口碑にもしか云, ふ、其他村落四方に散在して各其名稱あり、和歌山と斥へき地なきをや, 町許南にあり、今の地に城を築しは天正十三年を始とす、又和歌山の名も天正に城を築し後に起る、上文諸記和歌, 説とすへし、畠山記文正元年十月遊佐勘解由左衞門成加若山城を堅む、又永祿元年九月畠山高政の下知として和歌, や、これ又何れとも定めかたし、以上の諸記皆一時の雜録、信をとるにたらされとも〓一家の記のみにあらす、又, 川へ紀川を堰入といふこと見えたり、是昔の城跡に因て砦を構へしや、將今の石の殘たる跡は此時の砦の跡なる, あつて、和歌山の名も亦天正に始まるに非るに似たり、今の城地を距こと三町許南岡山の内に石を疊たる跡あり、, れたる處もあり、此地砂山にて生たる松なとも皆根の高く露れたるを視れは、歳月を重ね次第に砂土の崩れて地形, 近頃まても落崩れたる石の多く有しか、何となく人の取去て今は纔に殘れり、少し東の方に下りて石垣の砂中に埋, 普請奉行藤, 堂高虎羽田, 日築城ノ下, 正親一庵良, 秀長郡山移, 封後ハ桑山, ヲ起ス, 年内ニ工事, 重晴ヲ置ク, 岡山ノ古城, 三月二十一, 竣ル, 慶, 天正十三年五月八日, 二四二
割注
- 入道して法印宗榮といふ、若名小藤
- 太、尾州愛知郡地士、三萬石を領す、
- 若の字を穉弱の義に用ること、賈誼新書〓奴篇に猶若子之ユ慈母とあり、古事記萬葉集にも亦穉弱の義に用ふ、
- 山城といふものは皆後世の名を取て追て書せしなり、古は此地岡山と
- 武徳編年集成曰、天正十三年紀州の中央岡山に城を築き秀長の居城とす、後年和歌山の城と號すとあり、これを
- 年織田氏高野攻の事を記して、和歌山口より七千餘にて森口長郷推登る、此等の記に據は、和歌山城以前よりこれ
- 其跡の證とすへきこと有ときは此地に城を築しこと疑なかるへし、然れとも是は岡山の内にて今の城地を距こと三
- 傳へたり、これ上文雜記にいふ所の和歌山城の跡なるにや、天正五年雜賀合戰記には、北は吹上峰に砦を取り麓の
- 山城には舍弟畠山秋高家兄畠山河内守是を守る、又後太平記畠山高政和歌山諸所の城を築く、又室町殿日記元龜元
- も昔とは幾程も易りたらむ、されとも其落崩れし状古疊の跡ならむと思はるゝ形は猶殘り、土人の口碑にもしか云
- ふ、其他村落四方に散在して各其名稱あり、和歌山と斥へき地なきをや
- 町許南にあり、今の地に城を築しは天正十三年を始とす、又和歌山の名も天正に城を築し後に起る、上文諸記和歌
- 説とすへし、畠山記文正元年十月遊佐勘解由左衞門成加若山城を堅む、又永祿元年九月畠山高政の下知として和歌
- や、これ又何れとも定めかたし、以上の諸記皆一時の雜録、信をとるにたらされとも〓一家の記のみにあらす、又
- 川へ紀川を堰入といふこと見えたり、是昔の城跡に因て砦を構へしや、將今の石の殘たる跡は此時の砦の跡なる
- あつて、和歌山の名も亦天正に始まるに非るに似たり、今の城地を距こと三町許南岡山の内に石を疊たる跡あり、
- れたる處もあり、此地砂山にて生たる松なとも皆根の高く露れたるを視れは、歳月を重ね次第に砂土の崩れて地形
- 近頃まても落崩れたる石の多く有しか、何となく人の取去て今は纔に殘れり、少し東の方に下りて石垣の砂中に埋
頭注
- 普請奉行藤
- 堂高虎羽田
- 日築城ノ下
- 正親一庵良
- 秀長郡山移
- 封後ハ桑山
- ヲ起ス
- 年内ニ工事
- 重晴ヲ置ク
- 岡山ノ古城
- 三月二十一
- 竣ル
- 慶
柱
- 天正十三年五月八日
ノンブル
- 二四二
注記 (46)
- 1515,746,57,1496功竣る、秀長大和國郡山を居城とし、其臣桑山修理亮重晴
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- 1268,754,59,2231に峙を以て吹上峰と號し、又岡山の北首にあるを以て岡山の名あり、然るに岡山の南和
- 1149,748,56,2213歌浦の諸山と其勢相接きて、和歌の名最四方に高きより取て若山と名つくといふ、
- 1637,743,59,2246鍬初あり、藤堂和泉守・羽田長門守・一庵法印を普請奉行として、本丸二丸其年の内土
- 1762,744,59,2239美濃守秀長に賜ふ、此地の體勢城地に宣きを觀察して親く自繩張を命し、三月二十一日
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- 681,745,43,2250近頃まても落崩れたる石の多く有しか、何となく人の取去て今は纔に殘れり、少し東の方に下りて石垣の砂中に埋
- 762,748,41,2221あつて、和歌山の名も亦天正に始まるに非るに似たり、今の城地を距こと三町許南岡山の内に石を疊たる跡あり、
- 637,745,42,2245れたる處もあり、此地砂山にて生たる松なとも皆根の高く露れたるを視れは、歳月を重ね次第に砂土の崩れて地形
- 370,756,43,2237や、これ又何れとも定めかたし、以上の諸記皆一時の雜録、信をとるにたらされとも〓一家の記のみにあらす、又
- 246,750,43,2238町許南にあり、今の地に城を築しは天正十三年を始とす、又和歌山の名も天正に城を築し後に起る、上文諸記和歌
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