『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.228

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る、長島といふ甚だ堅固なる城に居たり、, を守將として、此處に置きたるが、同人は養父柴田に對して、不滿を懷く理, ず驚歎する所なりき、城内の人々は、窮状に陷りたるを見、救命を請ひ、城を, らしき事なるが、坑道を掘りて、其城を陷れんとせり、最初に坑道を造り火, 由ありて、謀叛を企て、當時其城の附近に軍隊を進めゐたる羽柴の味方と, を以て、其君瀧川の許に到り、城は守るの途なく、又彼の救援を期すること, たり、羽柴は四萬餘の兵を以て、此城を圍むこと數日の後、日本に於ては、珍, 途中通過せし諸村を燒き拂ひたり、第一に攻めたるは、名を龜山といふ城, せし時、壘は倒れて、八人のキリシタンは、其下に敷かれて死せんとせり、然, なりしが、城内には十分の準備を整へ、銃及び鎗を以て、多數の兵士を〓し, 近江と越前の國境に長濱と稱する城あり、柴田は、名を伊賀殿といふ養子, も坑道に設けたる壁の蔭にて助かり、皆生きて出でたるは、全軍の少から, を放たん爲め、之に依りて、堡壘の下に到りしはジユストなりしが、其到著, 出でたれば、羽柴の部下之を占領せり、同城の守將は、長島に妻子を留めし, なりたり、羽柴は其城を收めたる後、直に瀧川に對せんとして、長島に向ひ、, 天正十一年四月二十一日, 秀吉龜山, 高山重友, 龜山ノ攻, 勝豐長濱, 吉ニ降ル, 龜山城降, ヲ攻ム, ヲ以テ秀, 撃ニ從フ, 天正十一年四月二十一日, 二二八

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  • 秀吉龜山
  • 高山重友
  • 龜山ノ攻
  • 勝豐長濱
  • 吉ニ降ル
  • 龜山城降
  • ヲ攻ム
  • ヲ以テ秀
  • 撃ニ從フ

  • 天正十一年四月二十一日

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  • 二二八

注記 (27)

  • 1839,628,57,1215る、長島といふ甚だ堅固なる城に居たり、
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