『大日本史料』 11編 3 天正10年12月 p.754

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羽柴は, 一五八四年一月二日, 於ては珍らしき工夫を用ひ、坑道を掘りて、第一に城に入りしは、八名のキ, 附、長崎發、パードレ・ルイス・フ, 柴田は一人の養子を守將として此處に置きたり、此人柴田に〓辱を加へ, に在りし羽柴の手に此城を渡せり, 主なりき、近江の國と越前の國の境に、長濱といふ甚だ重要なる一城あり、, に於て一〓躍氣となり、四萬餘の兵を以て、數日間之を包圍し、終に此國に, リシタンなりき、彼等は稜堡の破壞物に壓倒されしが、支柱其他携帶せし, 道具を以て、奇蹟的に遁るゝを得たり、城内にありし人々は、事の不利なる, りしが、其守備堅固なりしに依り、多く死傷者を出して撃退せられたり、是, られしことあるを以て、少しも養子たる事に顧慮せず、軍勢を率ゐて、附近, 其後一ケ月にして、柴田及び瀧川戰爭を起せり、兩人共に甚だ優勢なる領, 同所より瀧川を進撃し、一切を破壞せり、第一番に攻撃したる城は龜山な, 〔日本耶蘇會年報〕(歐文材料第三號譯文), ロイスより、耶蘇會の總長に贈りし書翰の一節、, 一五八二年、八三年、及八四年の日本通信、, 月二十日ニ當ル, 年十二月二十日ノ條ニ見ユ, ○柴田勝豐、秀吉ニ降ルコト、十, ○天正十一年十一, 攻撃軍死, 傷多シ, 新工夫ヲ, 以テ)山, 城ヲ攻ム, 天正十一年三月三日, 七五四

割注

  • 月二十日ニ當ル
  • 年十二月二十日ノ條ニ見ユ
  • ○柴田勝豐、秀吉ニ降ルコト、十
  • ○天正十一年十一

頭注

  • 攻撃軍死
  • 傷多シ
  • 新工夫ヲ
  • 以テ)山
  • 城ヲ攻ム

  • 天正十一年三月三日

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  • 七五四

注記 (28)

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