『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.966

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は、さいと答へよと定罷出候、中村右近は具足着なから夾箱ニ寄掛り、甲を, 屋塲のきわに水たまり御座候ニふみ込申候を、右之敵三人ニてつきふせ、, 首をは團右衞門取申候、其後右近人數出合、おもひよらさる事ニて十方を, 候、右近は三人の敵を十文字ニてあいしらひ、うしろへしさり申候所ニ、小, 切落し申候時、内ゟ聞付、夜討入申候と申候へは、右近は右之手十文字を取、, ぬ發、具足櫃の上に立、眠り居り申候所、團右衞門すどを忍ひ入、小屋の戸を, 候へとも、何も高名いたし、大將ともニ首廿指上申候、此内ニ歳十五六ニ成, 小性の首一つ御座候、其夜の内ニ伴團右衞門、其外右十九人之者千疊敷御, 失ひ、少々どし討致し候を、團右衞門組、右貳十人なから何も高名致し、首以, ニてつきかゝり候を、團右衞門以下三人、鑓三本ニて右近につきかゝり申, 追討にいたし候、其内貳十人は城中へ、右橋ゟ引取申候、内五六人手を負申, 左ニ甲を持、小やゟ外へ出申候へとも、甲を着可申隙も無之、甲を捨、十文字, 上廿一討取引申候所、阿波守本陣ゟ大勢掛付、夜討をあはち町橋迄追付參, り候、夜討の者壹人致討死ニ、是は中村右近忰中村若狹、生年十五才と名乘、, 廷へ被召寄大野、木村長門兩人千疊敷の縁へ罷出、樣子承り、致書付候を、私, ニ退ク, 直之城中, 慶長十九年十二月十六日, 九六六

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  • ニ退ク
  • 直之城中

  • 慶長十九年十二月十六日

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  • 九六六

注記 (19)

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