『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.301

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炮大將共下知する也、, 多し、だれより鐵炮不可討とて、堅下知する也、, 殿父子何事なく歸城候哉と、御尋被成候處に、兩人申上候は、何事なく父, と御尋ありけれは、其儀にて御座候、内々御存被成候つる小塚藤左衞門, 所え、彼兩人御馬口を取候へは、兩人の者ぬ内々御存しの者也、又左衞門, 討死仕候と申上候得は、其外又は誰々だ、其外のものふ御存被成間敷候、, したりつまと、互の亂合戰なれは、可分樣更になし、不及是非次第と御意, 押ふらき、御馬を直に被召入よと申上候處に、はや御馬ゟおりさせ給ふ, と間に、又左衞門殿者とも、勝家敗軍の時、卷合ニ相被討たる者はなおか, 一秀吉はちか〳〵と御馬を被寄、御腰よりざいを拔出し、是ぬ筑前守をや、, 子共に歸城被仕候と申上候へは、だれより二人の者御供にて、内え被入, 五六人も卷合ニ相被討候と申上候、秀吉も心にはさあるへきとは思出, 見知りたるか、鐵炮討な〳〵と被仰しかは、内には皆見しり奉りたる人, 衆高畠石見、奧村助右衞門、矢倉よりとんており、大門の戸ひらを兩方へ, 一秀吉あや表裏なく、城の大手大門まて御馬を乘付給へぬ、折節矢倉之番, 天正十一年四月二十二日, 利家父子, 問フ, 問フ, ノ安否ヲ, 大手門ヨ, リ城内ニ, 入ル, 戰死者ヲ, 天正十一年四月二十二日, 三〇一

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  • 利家父子
  • 問フ
  • ノ安否ヲ
  • 大手門ヨ
  • リ城内ニ
  • 入ル
  • 戰死者ヲ

  • 天正十一年四月二十二日

ノンブル

  • 三〇一

注記 (26)

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