『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.109

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り、投の押として封地にあり、, 少々の相違も可有之哉、舊本のまゝ出し置、違有之分は追々改可申候、, かたきか、扨又四陣にて數惡敷と被思召候との説き、御旗本組をのけ, 是年、, は、一段一段の人數ニ合かたく候、且又一組々々の列數知行の高等は、, 大坂兩度乃御陣に、島津家久, 陸の押前三段、御舟一組、都合四段にて候間、右之御意等も、翌年の事成, ての事にや、御人數組は五段也、御書にも五段と有之、但翌夏御陣にき, の諸將とゝもに、兵を率ゐて大坂におもむく、十二月二十一日、兵庫に至る, 出し置申候、此しらへも消したる所なと有之、決定のぬまへにき仕り, 合の一紙ニ合候方を用い申候、又惣數九千六十三人と記たるも有之, 田中忠政, 外ニ其節人數組しらへの下地、傳來いたし候を、後年心得の爲附録に, 大坂乃役に、義智、海西, か勢出張すといへとも、渡海順風を得すして、遲滯をしにより、仰をかうぬ, にや、且又添頭の事もいふあしく追考可仕候, 〔寛政重修諸家譜, ○以下田中忠政、宗義智ノコトニ係ル, 〔寛政重修諸家譜〕〓百宗義智, 宗義智, 筑後, 對馬, 千三百, 十九年, 六十七, ○慶長, 守、, 守、, 五百, 宗義智, 田中忠政, 慶長十九年十二月二十一日, 一〇九

割注

  • 筑後
  • 對馬
  • 千三百
  • 十九年
  • 六十七
  • ○慶長
  • 守、
  • 五百

頭注

  • 宗義智
  • 田中忠政

  • 慶長十九年十二月二十一日

ノンブル

  • 一〇九

注記 (33)

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