『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.838

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

たかりし御事なり、今國清寺に御像の御座所、以の外草のはへ茂りくあれ, く云へき樣になし、中にも今まくはとかく詞ニも出さ〓共、餘り有かたき, はてたるけしき、天道物しる事なき世と覺くかなしき也、, く被下、又りた入の肌着を被下、必此事人にいふなと仰られし、志の辱さ身, に申出す也、仕寄場にて寒氣にくさそ苦勞ならんと〓、小き手桶に酒を入, にあまりけると云ける時、一座拾餘人一同に手を打く、さくも〳〵忝き哉、, りりに立しためし、もろこし衞の國の壽子の外多からぬ也、末代にも有か, は、東照宮の御女、北條氏直に嫁したまひ、後國清, 我〳〵も皆其通りなりき、一人のあひしらいと思ひしに、皆々か樣に御心, 被成候節、御身かりりに御立被成御かくれ被成候と申傳るなり、兄の身か, 院樣え御再嫁にて、其御腹に誕生被成候、大坂冬陣には、左衞門督樣、十六才, を付給ふ事、ためしなしと感し申合にるとそ、良照院殿、興國院樣を御毒飼, にて御出陣也、御歸陣の後、家中の士寄合て咄しにる時、壹人申出しけるは、, 此度わろき殿樣日頃と大にちかひて御出陣なり、初の方、事の御下知云か, 〔雨夜燈〕左衞門督樣, 〔攝戰實録, 朝臣, 忠繼, 三十, 忠繼兄利, 隆ノ毒害, 二代リシ, トノ説, ヲ慈ふ, 忠繼家臣, 元和元年二月二十三日, 八三八

割注

  • 朝臣
  • 忠繼
  • 三十

頭注

  • 忠繼兄利
  • 隆ノ毒害
  • 二代リシ
  • トノ説
  • ヲ慈ふ
  • 忠繼家臣

  • 元和元年二月二十三日

ノンブル

  • 八三八

注記 (27)

  • 401,628,58,2215たかりし御事なり、今國清寺に御像の御座所、以の外草のはへ茂りくあれ
  • 1331,624,60,2228く云へき樣になし、中にも今まくはとかく詞ニも出さ〓共、餘り有かたき
  • 285,628,55,1723はてたるけしき、天道物しる事なき世と覺くかなしき也、
  • 1099,622,59,2231く被下、又りた入の肌着を被下、必此事人にいふなと仰られし、志の辱さ身
  • 1214,628,58,2222に申出す也、仕寄場にて寒氣にくさそ苦勞ならんと〓、小き手桶に酒を入
  • 982,630,59,2233にあまりけると云ける時、一座拾餘人一同に手を打く、さくも〳〵忝き哉、
  • 516,624,59,2220りりに立しためし、もろこし衞の國の壽子の外多からぬ也、末代にも有か
  • 1792,1439,58,1416は、東照宮の御女、北條氏直に嫁したまひ、後國清
  • 867,624,58,2224我〳〵も皆其通りなりき、一人のあひしらいと思ひしに、皆々か樣に御心
  • 632,623,59,2222被成候節、御身かりりに御立被成御かくれ被成候と申傳るなり、兄の身か
  • 1676,620,61,2234院樣え御再嫁にて、其御腹に誕生被成候、大坂冬陣には、左衞門督樣、十六才
  • 750,622,57,2225を付給ふ事、ためしなしと感し申合にるとそ、良照院殿、興國院樣を御毒飼
  • 1561,631,60,2235にて御出陣也、御歸陣の後、家中の士寄合て咄しにる時、壹人申出しけるは、
  • 1445,619,61,2224此度わろき殿樣日頃と大にちかひて御出陣なり、初の方、事の御下知云か
  • 1774,581,102,675〔雨夜燈〕左衞門督樣
  • 155,586,88,320〔攝戰實録
  • 1782,1279,41,115朝臣
  • 1824,1280,43,114忠繼
  • 190,992,53,108三十
  • 797,252,42,174忠繼兄利
  • 752,252,43,175隆ノ毒害
  • 709,262,41,155二代リシ
  • 665,259,42,122トノ説
  • 1789,258,39,114ヲ慈ふ
  • 1830,253,43,175忠繼家臣
  • 1911,695,45,427元和元年二月二十三日
  • 1910,2436,40,120八三八

類似アイテム