『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.839

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て大御所御機嫌宜しからす、曾て上意なく、不首尾にく武藏守死去せらる, 付給ひ、此謀偏に左衞門督を思ふに依て也、今左衞門督我巧む所の毒を給, 死去也、武〓氣色惡しといへ共、夏陣に就て播〓ゟ兵を發し、遲參に及に依, 入て其不仁を歎かる、大坂冬陣御和談に就て、各歸陣有り、翌元和元年正月、, して飛付、殘る所の片割を取て食せらる、其座の有樣甚不審也、此事母堂聞, ゝ事、其比風説有りと也、, 武藏守には母堂を訪ひ給はん爲、備前に趣き對面有り、母堂馳走として〓, なは其死近かるへし、渠を失て我いかんそ生殘るへきと悶り歎て、かの毒, と披露す、武藏守には其毒に中く次第に氣色惡敷、翌二年六月十三日終に, せられ、蒸菓子女中給仕し武藏守の前に居る所の饅頭、左衞門督自分の前, に居る所の饅頭と引替、是を取く割て食せらる、武〓是を見、其心底を感察, て左衞門督も其毒に中り續て死去也、故に兩人共に疱瘡にて死去せしむ, 饅頭を取寄、是を給らるゝに依て、母堂強く毒に中りて間なく死去也、斯し, み、是を異く左衞門督御領國に合さしめん事を巧めり、此趣左衞門督耳に, 池田家傳ニ曰、母堂良昭院殿、常に武藏守惣領として大祿を領する事を猜, 披露ス, 不仁ヲ歎, 死セリト, 疱瘡ニテ, 忠繼母ノ, 元和元年二月二十三日, 八三九, 元和元年二月二十三日

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  • 披露ス
  • 不仁ヲ歎
  • 死セリト
  • 疱瘡ニテ
  • 忠繼母ノ

  • 元和元年二月二十三日

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  • 八三九
  • 元和元年二月二十三日

注記 (23)

  • 411,615,64,2227て大御所御機嫌宜しからす、曾て上意なく、不首尾にく武藏守死去せらる
  • 1110,616,59,2232付給ひ、此謀偏に左衞門督を思ふに依て也、今左衞門督我巧む所の毒を給
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